『疑似恋愛の果て』 Written by Takumi


 あの瞳に映るなら、私はどんなことでもしよう。
 たとえその結果があなたを裏切ることになろうと。
 あなたの記憶にわずかでも私が残るのなら、いくらでも愚かになれる。
 あなたは私の理想。
 常に正義を貫き、己を信じ抜く強さを持った美しい人。
 決して手折ることのできない、気高き花。
 だから言える。心の中で、ひっそりとだが、何度でも。
 あなたの瞳に映るなら。
 私はどんなことでもしよう―――。

 ツカツカと廊下を歩く荒々しい足音が聞こえた。
 それだけで誰のものかわかる自分はかなり重症だと思う。口端に自嘲の笑みを浮かべた。
「参ったな……」
 こんなはずじゃなかったのに。
 いつからだろう。彼女から目が離せなくなったのは。
「ミイラ取りがミイラになった、か」
 今度は声に出して笑った。そうすることで自分が道化を装った気になる。そうすることで、これが全て計画のうちになるような気がする。
 あり得ないことだった。
 自分が、誰かに恋をするなど―――。
「サルベーンはいるか!」
 足音がピタリと部屋の前で止まり、間髪入れずに乱暴に扉が開かれた。
 目に入る、艶やかな皇女グラーシカ。
 きつい眼差し、紅をはいたような赤い唇に目を奪われる。
 なぜ彼女はいつもこれほどまでに美しいのだろうか。
 自然、わずかに目をすがめた。くらみそうな美貌というのはこのことを言うのだろう。
「いかがなさいました?」
 だがそんな内心をひっそりと胸の奥に潜め、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを顔に張り付けた。そうすることで相手の心をいくらか和ませる効果を知っていたから。
 相手が普通のご婦人であるなら頬を染めるくらいのことはするだろう。グラーシカがそのような態度をとったことは過去に一度もないが、それでも呆れるぐらいはする。それまでの気迫がわずかに緩むことを、今までの経験から知っていた。
 だが今日の彼女は違った。
 ツカツカと目前に迫ったと思いきや、パンッ…と頬を思いっきりひっぱたかれた。
「…………おや……」
 予想はしていた。彼女の足音が聞こえたときから、こうなるだろうことは。
 だがそれでも微苦笑を浮かべ肩をすくめてみせた。
「乱暴ですね」
「貴様……ッ!」
 その反応に、肩を怒らせた彼女が怒気に染まった瞳で自分を見つめた。
 だがあまりの怒りで次の言葉が出ないのか、グイッと僧衣の襟首を掴むことで胸の怒りを表明する。
 間近に彼女の顔がある。
 不謹慎とは思いながらも、やはりその美貌に見とれそうな自分がいた。惚れた弱みというものをしみじみと実感する。
 だがしかし、その一方で締められた息苦しさにわずかに顔をしかめた。
 笑みの崩れた自分を認め、それまでわなわなと唇を震わせるに留まっていたグラーシカが一気に火花を散らした。
「よくも…よくも姉上に……ッ!」
「申し訳ございません」
「謝って済む問題ではない!貴様のせいで姉上は……ッ!」
 姉想いのグラーシカ。
 その彼女にとって、今回の事件は胸を掴まれたような衝撃だったろう。
 事件―――ユリ・スカナの第一皇女、ネフィシカご懐妊の報。
 発覚したのは今朝だった。
 つわりで吐き気を押さえきれなかった彼女に、勘のいい侍女が気づいたのがきっかけ。
 すぐさま侍医が呼び出され、間もなく事実が明らかになった。
 相手の名前を王に問われ、涙ながらに答えた彼女の噂は既に王宮中に広まっていた。
 彼女はまだ未婚。
 しかも王太子という身分から考えれば、その子供が次期王位継承者となるのは必須。
 だがしかし、その相手が問題だった。
「なぜそなたほど遊び慣れた者がこんな不始末を侵した!なぜその相手が姉上なのだ!答えろ、サルベーン!」
 そう、相手はこの自分。
 ザカリア流血女神の黒き血を引き継いだと言われる、ザカール人の自分だった。
 心当たりがないこともない。
 いや、むしろこうなることを望んでいたのかもしれない。
 最初は軽い気持ちからだった。王族の血に忌み嫌われるザカールの血が入れば楽しくなるだろう、と。
 元々自分の顔には自信があった。整った顔立ち、柔らかな表情。これを持ってすれば大概の女性が自分に気持ちを奪われるであろうという実績の伴った自信が。
 だがグラーシカは違った。
 彼女はこの自分を嫌悪を含む瞳で見る。いや、見ないで済むなら見たくないという感情がありありとわかるほどに。
 だから、興味がわいた。
 彼女を落とせればどれほど楽しいだろうと、らしくもなく躍起になった。
 だがそうなる前に、彼女の姉に見初められた。
 お慕いしております、と細い肩を震わせ告白してきた彼女。いつもなら柔らかな物腰でやんわりと断るはずだった。
 だが彼女は、ネフィシカはグラーシカに似ていた。
 姉妹だからそれは当然かもしれない。
 とはいえ、彼女にはグラーシカのような覇気は微塵もない。ただ穏やかな空気が彼女を包んでいた。
 だがそれさえも、顔立ち一つ似通っているだけで自分の気持ちは大きくぐらついた。
 結果、ただそれだけの理由で、自分に好意を持つ彼女の気持ちを利用した。
 ――疑似恋愛――
 彼女を抱くことでグラーシカを抱いているような錯覚を覚え、だからこそ数多くの睦言を口にした。
 彼女に口づけすることで、恋い焦がれるグラーシカに一歩近づけたような気になった。
 愚かな行動。狂気に近い行い。
 だが幸いに、と言うべきか。
 ネフィシカはその事実を知らない。
 いや、たとえ知っていようと。
 自分が妹の身代わりにされたなどという事実に、彼女は耐えられないだろう。
 だからこれでいい。
 自分が愛されていると思い、子を宿したことで更に心の安定が得られるのなら、彼女が無理に事実を知る必要はない。
 むしろ知らないほうが、彼女にとっては幸せなのだ。
「申し訳ございません」
「そんな言葉が聞きたいのではないと、先ほどから再三言っている!」
「今回の不祥事は全て、私の責任です」
「ああそうだ!貴様がやった不始末で、姉上は離宮への幽閉が決定されたのだ!」
「存じております」
 頭をうなだれ、彼女の視線から目を背けた。
 そのことは事件発覚後、すぐさま王に呼び出され叱責と共に聞かされた。当然自分にもそれ以上の罪が用意されているということも。
 ネフィシカには悪いことをしたと思う。
 こんな男に騙され、あまつさえ子を宿し、結果幽閉されるなど。
 心底彼女を哀れむ気にはなれないが、わずかばかりに気の毒だとは思った。
 しかしそれを真っ向から責め立てるグラーシカのまっすぐな瞳。
 それを避けるように俯いた。
 だがすぐさま胸ぐらを掴まれ、強引に顔を上げさせられる。
「こっちを見ろ!」
 目前に迫った彼女の美貌。思わず伸ばしそうになる腕を拳を握ることで留まらせる。
「本当ならこの場で貴様を殺してその罪を償わせてやりたいところだッ」
 吐き捨てるような、嫌悪感を含んだ台詞。
 今回の事件は、元来男性嫌悪の性がある彼女により拍車をかけるものになったのだろう。
 自分を見つめる瞳にも、明らかな嫌悪がにじんでいた。
「それであなたの気が済むのなら、どうぞひと思いに……」
「バカを言うな!そなたがどれほど腹の立つ男であろうと、姉上はそんなそなたを心底愛してらっしゃるのだ」
「勿体ないお言葉……」
「今回の処罰が原因で姉上は床に伏せられた……そんな姉上の力になってやれるのはサルベーン、そなたしかいないだろう…ッ!」
 言葉の端々に感じる、彼女の悔しさと悲しみ。
 おそらく姉を慰めることができるのが自分ではなく、この最も嫌悪する男だという事実に我慢がならないのだろう。
 だがそんな怒りの空気が、一瞬ふと途切れた。
 おや、とばかりに目を向ける。するとそこには、それまでの怒気を払拭させたグラーシカが、ただ自分を見つめていた。
 その真摯な、薄茶の瞳に映ることだけを望んでいた自分。いつの間にかカラカラに渇いた喉奥が引きつった。
「グラーシカさ……」
「愛しているのか?姉上を」
「………………」
 問われた質問に、一瞬言葉が詰まる。
「どうなのだ?」
 答え次第ではこのままここで切り捨てる、という雰囲気も明らかなグラーシカ。
 だがそれを認めたと同時に、いつもの笑みが顔に浮かんだ。
「心から、お慕い申し上げております」
 あなただけを。
「その言葉に偽りはないな」
「ございません」
 あなたのためなら、この命さえ惜しくはない。
「そうか……」
 心の言葉は彼女には届かない。届けようとも思わない。
 だがせめて、あなたの瞳に映り、あなたに見つめられることを許していただけないでしょうか。
 笑みを消し、無表情とも取れる顔を向けた誓いの言葉。
 それに対しまだわずかに怒りの残った、だが明らかにホッとした顔を見せるグラーシカ。
 そして彼女にそんな表情をさせてしまえる自分。
 ネフィシカを仲介役にしてはじめて、自分たちは関係を持てる間柄にある。
 それ以外では自分は彼女にとってなんら特別な存在でもない。
 その事実に、わずかに苦笑を浮かべた。
 だがその笑みをどう受け取ったのか、再び眉根を寄せたグラーシカが、だが、と言葉を続ける。
「姉上を泣かせたら、命はないと思え」
「わかっております」
「よし」
 満足そうに頷くと、きびすを返し扉へと向かう。
 それだけを言いに、この部屋に来たのだろう。
 だが再び浮かびそうになる苦笑は、突如振り返ったグラーシカの不機嫌そうな表情に押し隠した。
「まだなにか?」
「用がなければ姉上に逢いに行ってやってくれ。たぶん、心細い思いをしてらっしゃるだろうから」
 そなたが行くと姉上も喜ぶ。
 言外にそう含ませた台詞。
 まったく、あなたはなぜ常にそのように綺麗な存在でいられるのか。
 感慨に深いものを感じながら、だが彼女を安心させるためにいつもの笑顔を張り付け穏やかな声音で答えた。
「そのつもりです」
「言っとくがな!」
「はい?」
 突然の大声。
 らしくないそれに、やや目を見開いた。
 目の前のグラーシカはすっかりふてくされた顔でビシッと人差し指を突きつける。
「そなたを義兄上と呼ぶつもりは更々ないからな!」
 言うが否や、来たときと同じように乱暴に扉を閉めて出ていった。
 それまでの喧噪が嘘のように、しんと静まり返った部屋。
 だがその中央で、こみ上げる笑いに身体を任せ肩を震わせる。
「ククク……まったく、あなたという人は…………」
 綺麗なグラーシカ。
 澄んだ瞳、澄んだ心、本音の言葉。
 その全てが自分が持ち得なかったもの。
「あなたはやはり、私の理想ですよ」
 閉じた扉に向かって本音を投げかける。
 自然と顔に笑みが浮かぶ。いつもの偽善的な笑みではなく、悲しみに歪んだ醜い笑顔が。
 それをそっと手で覆い、深く息を吸った。
 時計の秒針だけがコチコチと室内に響く。
 やがてゆっくりと顔を上げ、正面を見据えた。
「さてと、ではお見舞いに行きましょうか」
 言われたとおりに。彼女を、ネフィシカを通してグラーシカを喜ばすために。
 疑似恋愛の果ては常に闇だ。
 たとえその瞬間至福の時を味わおうと、最後に待っているのはがんじがらめの終末。
 今回の自分にとって、それは『結婚』という約束された形だった。
 だがそれで罪が薄らぐなら。ネフィシカの気持ちが少しでも慰められるなら。グラーシカの気が済むのなら。
 自分はなんでもするのだろう。
 扉に手をかけ、ふとさっきの彼女の言葉を思い出した。
「私が兄なら、あなたは義妹ですか……」
 フッと自嘲気味な笑みが浮かぶ。だがそれをすぐさま消し去り、
「そんなこと、呼べるわけがないでしょう」
 クスクスとおかしそうに笑った。
 そうすることで、全てが道化で終わるように。
 もう恋に熱くなるような歳ではない。愛だの夢だの言う世代はとっくの昔に終わったはずだった。だから……
「これでいいんですよ」
 そう呟き、部屋をあとにする。
 静かに閉まった扉。
 その向こうに残した自分の本音を無視して、離宮へと向かう。
 愛する妻のいる場所へ―――。


純愛サル(笑)
もうこの一言につきます(笑)
一見してシリアスのようで、その実サルのあまりのリリカルぶりに笑いを誘う一品。
『恋愛は先に恋した方が負け』なんてどこかで聞いた言葉をつい思い出してしまいました(笑)
しかしサルにはこれからも大いに本編で悪行を果たしてほしいものです。
グラーシカと漫才しながら(笑)←それは違うぞ(-_-;)
ま、これはこれで結構おもしろいネタじゃないかな〜とは思うのだが。みなさんはどうでしょうか?

 


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