『欲情』  Written by Takumi


―――なぜだろう。
 気がつけば涙がとめどなく溢れていた。
 視界に入るのはいつもと同じ兵舎の天井で。いつもと何一つ変わらない世界がそこにあるのに、悲しくなどないのに、なぜか涙が溢れた。
「どうした」
 暗闇の中、隣のベッドで寝ていたシドーが俺の様子に気づいてそっと聞いてきた。
(聞きたいのは俺のほうだ)
 頭の中では強がったせりふを吐くのに、声に出すと嗚咽で呼吸すらうまくいかない。
「……っかんね…でも………止まんねー……」
「イヤな夢でも見たか」
「ちがう……そうじゃない………」
 小さく頭をふる。
 その拍子に瞳にたまった涙がこぼれて、枕カバーを濡らした。
 夢を見たわけじゃない。身体だってどこも痛くない。
 ただ、胸が掴まれたような感触にこみ上げてくるものがあるだけ。
 それだけなのに、どうしてこんなに涙が出るんだ。
 ともすれば溢れそうになる嗚咽をこらえ、枕に突っ伏す。喉奥がひゅーひゅー鳴った。
 叫んでるみたいな音だ―――。
「ラファエル……」
 やがてシドーの声が頭の付近で聞こえたと思った瞬間、ギシッとベッドが沈んだ。
 同時に枕に突っ伏していた頭をシドーの胸に抱えられる。
「やっ…なにし……やめろよ……っ!」
「なにもしない」
 慌てて顔を上げかけたのを、力強い腕で遮られる。
 耳元で静かに言われた声は、抑揚のないいつもの奴の声。
「でも……こんな体勢………」
 かすれた声。意識してるわけじゃないのに、戸惑いを隠しきれない。
 だって……俺たちは同じベッドで、まるで重なり合うようにして寝てる。
 でもなにもしないと言ったとおり、シドーの手はただ俺の頭と腰をつかんでるだけ。いやらしい動きはいっさいしてない。
 それじゃあこれは俺の被害妄想?過剰反応?欲求不満?
 つまり触ってほしいのか?誰に?シドーに!?
―――そんなはずないだろ、バカ。
「………放せよ」
 ぐいっと腕を突っぱねて、シドーの胸板を押しやる。
 でもそれもすぐ、腰に回された力強い腕で元に戻された。どこかしらさっきよりも密着した感じがする………俺ってやらしい。
「そんな状態で寝れるのか」
「寝てみせる」
「羊でも数える気か」
「お前が数えろよ」
 精一杯の強がりが、沈黙を読んだ。気まずい。
 もぞもぞとシドーの腕の中で身体をよじらせる。
 だって、身体の構造上どうしても向き合えば触れ合ってしまう。熱くなりそうな予感の下半身。こんな俺は知られたくない。
 ギュッと目をつむった。
 シドーに軽蔑されてもいいのか。しかけるのはあいつからって決まってるだろ。俺からほしがっちゃダメだ。
 そうやって言い聞かせるのに、何度も言い聞かせてるのに、耳にシドーの熱い息がかかるだけで声が出そうになる。腰をすりつけてしまいそうになる。
 こんな俺知らない。こんな女々しい俺、俺じゃない。
 でも相変わらず涙は止まらなくて。
 すでにシドーのシャツは俺の涙でぐちゃぐちゃだった。
 あとで洗って返さなきゃな、そう思ってたとき耳に届いたシドーの声に、俺は心底驚いた。
 だって今までずっと黙ってたのに。おまけに、その言葉が………
「羊が1匹……羊が2匹……羊が3匹………」
「シ、シドー……?」
「なんだ」
「なに……数えてんだ……?」
「お前が数えろと言ったんだろ」
「そりゃ言ったけど……」
 言いかけて、クスクス笑いがこみ上げてきた。
 シドーの奴、これでも気を遣ってるつもりなんだ。
 笑ったおかげで下半身もようやくもとの落ち着きを取り戻してくれたらしい。シドー様々だったりする。
「しなくていいならやめるが」
 むっつりした声が耳元でささやかれた。でももうその声に戸惑うことはない。
 逆にシドーがかわいく見えてくる。
「ううん」
 そっと呟いた。
「続けて」
 それからシドーのシャツをギュッと掴んで奴の匂いをかぐ。
 変態っぽい行為かもしれないけど、なんだか落ち着いた。なんでだろう?
「笑うなよ」
「笑わねーよ」
 シドーの腕がスッと俺を引き寄せる。
 でももうさっきみたいな妖しい感情は起こらない。
 カチカチとどこかで時計の秒針の音がした。今更ながらその存在に気づく。
「何時?」
「……3時を少し回ったところだ」
「ごめん……なあ、もういいから寝ろよ」
「別にかまわない」
「明日完全装備で40qだぞ」
「いいから寝ろ。………襲うぞ」
 ビクッとなった。耳元に意図的に息が吹き込まれる。
 でも拒否の声が出ない。その先を期待してる自分がいる。
 相手はシドーなのに。それとも………シドーだから?
「冗談だ」
 俺の沈黙をどう取ったのか、すまなそうにシドーが頭に触れる。
 ポンポンッと優しく叩かれるのが、なんだかじれったい。
「……………のに……」
「なんだ」
「……別に、襲ってもいいのに………」
 頭を叩いてたシドーの手がぴたりと止まる。
 俺、今すごいこと言った。頬が熱い……たぶん真っ赤だ。
「寝ぼけるな、バカ」
 なのに返ってきたシドーの言葉は全然真剣なものじゃなくて。
 一度止まりかかった涙がまた溢れそうになった。
「なんで……なんで本気だって思わねーの?俺今言っただろ……抱いて欲しいって言っただろ!?」
 シドーの胸板に埋めていた顔を上げて、間近に奴を睨み付ける。
「あとで後悔するようなことは言うな」
「後悔?……後悔ってなんだよ………」
「今は場の雰囲気に流されてるだけだ。無責任にそういうことを言うな」
「じゃあお前は俺が雰囲気に流されて抱いてくれって言ったと思ってんのか?」
「実際そうなんだろ」
 冷たいシドーの言葉に、頭の中で血管の切れる音がした。
「ふざけんなよ!流されてこんなこと、できるはずねーだろ!」
 シドーのシャツを掴んで、噛みつくようなキスをする。
 だって、あんまりだ。
 俺は本気で答えたのに、あいつは冗談で片づける。こんな仕打ちって、ない。
 悔しくて涙が出てくる。
 こいつなんかのために泣きたくなんかないけど、さっきから涙腺はバカになってて。
 シドーにキスしながら、涙がぼたぼた流れた。
 舌が触れ合って、絡みあう。
 流れ落ちた俺の涙がそれに交じって、少ししょっぱいキスになった。
―――バカみたいだ。
 こんなことしたって、なんの解決にもならないのに。
「…………………忘れろよ」
 数分後、唇を離したと同時に俯いて布団にもぐった。
 どこもかしこも俺の涙で冷たかったけど、この際気にしてなんかいられない。
 明日、目腫れるだろうな。またエイゼンのバカになんか言われる。……やだな。
 そんなことを思いながら、でも一方で早くシドーが自分のベッドに帰ってくれることを願う。
 頼むから、今の俺は忘れて―――。
「本気なのか」
 布団を通してくぐもったシドーの声が聞こえた。なに言ってんだ、今更。
 だから無視した。そのくらいの権利はあるはずだから。
「その…俺はてっきり……」
 珍しく歯切れの悪いシドーの言葉。その続きが気になって、布団の中で聞き耳を立てる。
「お前は隊長のことが好きなんだと思ってた」
「………………」
「だから俺のことは暇つぶしだろうと……」
 とんでもないシドーの言葉に、思わずさっきの無視宣言を無視してがばっと布団から顔を出す。
「キャッスルのことは好きだよ」
「なら………」
「でもお前のことも好きなんだからしょうがねーだろ」
 怒鳴るんじゃなく、照れるんでもなく、俺はただ静かに言った。
 呼吸をするように、当たり前のように告白をする。
 それくらい、怒ってたのかもしれない。
「………………俺は……」
「さっきのことは忘れろって言っただろ。もういいよ」
「………お前は…俺のことを本気にしてないと思ってた」
 信じられないといった風に告げるシドーの言葉に、再び涙が溢れてきそうになる。
「さっきから何回も言っただろ……なんで信じねーんだよ…俺ばっかこんなに好きで……もうやだ……」
 ガキみたいに最後はだだをこねて、ベッドに潜り込む。
 なんで今日に限って、こんなにみっともないところばかりを見られるんだろう。
 シドー、絶対今呆れてる。もう、俺のこと嫌いになったかもしれない。
 そう思うからよけい涙が流れた。
 もう寝るどころじゃない。呼吸が苦しくて、鼻水がでて、最悪だ。
「ラファエル」
「…………………」
「ラファエル、こっち見ろ」
 強い口調に一瞬躊躇して、それからもぞもぞとベッドから這い出る。
 なんだかんだ言って、俺はシドーに逆らえないでいる。情けないけど、惚れた弱みなのかもしれない。
「…………なんだよ」
 でもそれを認めるのがイヤで、唇をとがらせてシドーを睨み付けた。
 とたんぷっとシドーが笑った。あのシドーが笑ったんだ。
「ひどい顔だな」
「う、うっせーよ!誰のせいと思ってんだ!」
 恥ずかしくて、かーっと耳まで赤くなるのがわかった。
 なんで好きな人にこんなみっともない、最悪な顔を見られないといけないんだよ。
 このまま消えてしまいたい。この記憶を奴の中から抹消したい。
 でもそんなこと、叶うはずがなく。
 だからシーツをギュッと握りしめて、シドーを見ないように俯いた。
「そんなことが言いたくて………んっ!」
 顎をつかまれたのと、唇に熱い感触を覚えたのが同時。
 なにこれ………シドーが俺に……キスしてる………
 ぬくぬくっと奴の舌が俺の唇をノックする。開けてくれ、と言ってる。
 驚愕に開いた目を閉じて、それに応えようとうっすらと戸惑いがちに唇を開いた。
 からめ取られた舌が痛いくらい吸われてうっと声が出る。
 でもすげー幸せで、キスぐらいで気絶しそうに感じてる自分が情けないけど、たまにはいいかな、なんて思ってしまう。
 それからどのくらい時間が経ったのか。
 互いの唇を離すとそれでも繋がっている唾液の糸にクラクラした。
 なんか俺……節操ないかも。
 恥ずかしさに俯いたとき、耳に届いたシドーの声。
「好きだから」
 視界に入るシーツの皺が俺の心中を表すように、くしゃくしゃになってた。
「お前のこと、ちゃんと好きだから」
「俺は………その百倍好きなんだからな……!」
 ぐっとシーツを握ったと同時に、またボロボロ涙が出た。
 ポンッと頭にシドーの手が触れて、ギュッと抱きしめられた。
 耳元にシドーの息を感じる。ゾクゾク背中に寒気を感じた。
「泣かせてばっかだな」
「バカ………全部お前のせいだ……」
「責任はとる」
「………責任って?」
「結婚してもいい」
 言われた言葉に、俺はまた目を見開いた。笑おうとして、失敗した。
 じわっと涙腺に新たな涙が浮かぶ。
「バカ……そんなこと冗談で言うな……本気にするだろ……」
 そんなこと叶うはずないのに。
 でも心のどこかで喜んでる。そうなることを望んでる。
 この戦争が終われば、治安部隊での7年を無事終えたら、なんてありもしないことを考えてしまう。
 夢であることはわかりきってるのに。
 なのに、思わずにはいられない。
 幸せな未来、希望に満ちた結末を。
「本気にしていい」
 そのときは迎えに行く、とまるでプロポーズのような言葉を言われて。
 胸が締めつけられる。
 待っていた言葉は、これだったんだろうか。
 涙の理由は、これなんだろうか。
 抱かれるたびに、確かなものなどなにもない関係に、いつも不安だった。
 刹那の快楽、冗談、暇つぶし。そんな言葉が常に頭にこびりついて離れなかった。
 約束が、ほしかった。
 永遠なんてものでなくてもいい。形だけの約束でもいい。
 シドーの口から、それが聞きたかったんだ。
「………待ってるから」
 そして吐息のように囁いた。
 ずっと言いたくて、言えなかった言葉が解放される瞬間。
「ああ」
「ジジイになっても、お前が死んでも、ずっと……ずっと待ってるからな」
「そのときはまた羊でも数えてやるさ」
「………俺が寝るまでだぞ」
「わかってる」
「俺、なかなか寝付かないからな」
「お前が寝るまで数えててやるよ」
「破ったら絶交だぞ」
「………なら、約束だ」
 奴がそう言ったとたん、俺はチュッと額にキスされた。
「なっ………!」
 思わず赤面して額を押さえる。
 慣れない奴の唇の感触に心臓がバクバク音をたてた。
 不意打ちなんてずるい。気持ちの準備ができてなかったからいつもの倍恥ずかしい。
 なのに奴はそんな俺の気持ちを知ってて、わざと聞いてくる。切れ長の目が微かに笑ってるのがなによりの証拠だ。
 けど悔しいことに、そんなシドーは格好いいと思ってしまうんだから俺も救いようがない。
「嫌か?」
「…………嫌じゃ…ない」
 だから、奴の思惑通りの言葉を吐かされて。
 ちゃんとしたのがしてほしいか?と聞かれて再び頷く。
 そうして触れ合った唇は今まで以上の愛しさをこめて俺を慰めてくれる。
 思い違いかもしれないけど、俺にはそう思えたんだ。
「ん…………ふぁ………」
 次第に深くなる口づけに、呼吸が荒くなる。獣じみた息づかいが部屋に満ちはじめた。
 身体に触れるシドーの手が意味ある動きをはじめ、その動きに従って俺が声をあげる。
 でも今までとは違う、たしかな安堵感があった。
 それがなにか、考える必要はない。
 それは形のあるものではなく、表に出すものでもないのだから。
 やがて秘所に触れるシドー自身の熱さに、俺は思考を止められた――――。


ラファ、堂々の二股宣言(笑)
同盟にこれを献上した当時、管理人の某Mさんにそう評されたのが忘れられません(笑)
今ではたぶん書くのがかなり困難になりそうな一人称書きですが、それこそ数年ぶりに読んで思ったことといえば…終わりそうで終わらねぇ……(-_-;)
なんか…話引っ張りすぎ?(笑)
読みながら何度「もう良いじゃん!そこで終わっとけよ!ラファ、黙れ!シドー、放っとけ!」とディスプレイに向かって呟いたことか。
しかもラファ達はきっとタコ部屋住まいだったはずなのに、なぜこんな大声で痴情のもつれを語り合い、挙げ句の果てにHまでしくさってるんでしょう(笑)
…この世には不思議なことなど何一つないのだよ…(by京極堂)
というわけで、少しでも楽しんでもらえれば幸いです。

 

 

 

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