感謝企画−タイプB−

親子であろうと、健全は可能。
身内だからこそさらけ出せる、本音と弱音。
最後には助けてくれると、無条件で信用できる相手である。

 


『この愛しき存在を』

 静かだった。
 灯り一つない部屋は普段の喧噪が嘘のようで。
 普段は口にしないブランデーをゆっくりと飲み干す。家族が寝静まった我が家で、軍服の襟元一つ崩さずグラスを傾ける様子はさぞかし奇妙なものだろう。
 窓から見える外の景色をぼんやりと眺めながら、だがそのうち窓に反射した自分の姿に懐かしいものを覚え、小さく笑う。
「…マックス」
 名前を呼んだ。なんだ、とばかりにその姿が揺らいだのは目の錯覚か。
 愛しい半身。
 最後までその身を国に捧げて、最後まで自分勝手で。喧嘩をしたこともある。なぜそこまでするのかと。なぜ、もっと自分のために生きないのかと。
 彼とは対照的に、家庭を持ち順風満帆な人生を送る自分が後ろめたかったのかもしれない。そう責めることによって自分を正当化していたのかもしれない。
 でもかけがいのない存在だった。
 元々絆の深いことで有名なユーベルメンシュ。だがその絆を越えてなお、自分たちは固く結ばれていたと信じたい。
 今もこうして名前を呼ぶだけで嗚咽がこみ上げそうになる。窓ガラスに映った自分の姿を見ただけで唇が震えるのがわかった。
 もう大丈夫だと、自分では思っていたのに。あまりにも似通った容姿は、逆に嫌でも彼を思い出す。それだけ辛さが持続する。
 辛い…だがその反面、彼と全く変わらぬ容姿を持つ自身に感謝していて。いつまでも彼を身近に感じられると安堵している自分がいる。なにもかもが矛盾していた。
 内ポケットに忍ばせた手紙に手を伸ばす。指先に触れた感触に唇が震えた。あの日以来肌身離さず持っている手紙。マックスからの手紙だった。
 何が書いているか、文面を見ずとも思い出せる。
 そしていつも、最後の一行に涙した。
 ―愛するエーリヒ―
 不器用な半身からの唯一の告白は、思い出にするにはあまりに寂しくて。
「……っ…」
 また、涙がこぼれた。
 空のグラスに雫が落ちる。泣きやめと、自分に言い聞かせれば言い聞かすほど彼との数少ないやり取りが思い出された。
 幼い頃のこと。士官学校時代の様子。そして互いに副官となってからの日々。
 どの思い出も愛が溢れている。半身への愛が。半身からの愛が。
「……パパ…?」
 不意に背後から名を呼ばれ、振り向く。扉付近からじっとこちらを見つめているのは、
「モニカ……」
 ネグリジェに身を包んだ愛娘の姿だった。その顔に不安そうな表情が浮かんでいるのを見て、慌てて駆け寄った。
「どうしたんだい?こんな夜中に」
 怖い夢でも見たのか、と抱き上げたモニカを間近で問い詰めれば、小さな紅葉のような手の平がそっと優しく頬に触れた。子供特有の高い体温が気持ちよかった。
「パパも…怖い夢を見たの?」
 言われてハッとした。慌てて頬を拭ってみれば涙でぐっしょり濡れた手の平に苦笑する。
 心配そうなモニカの瞳と目が合った。
「そうじゃないよ」
 この子は不思議な力がある。きっと父親の潜在能力を受け継いだのだろう。普段からひどく人の雰囲気に敏感な子だから。今もきっと自分の気配を感じて起きてきたのだ。
 そう思うと、無性にこの小さな存在が愛しく思えた。彼女を抱く手に力を込める。
「モニカは大きくなったら何になりたい?」
「大きくなったら?」
 反芻する唇は桜色。小さなキスをすれば、くすぐったいと言うように小さく笑った。
 愛しい娘。マックスの残した命。
 お前を守るためなら、パパはなんでもするよ。
「お嫁さん」
 やがてその唇から飛び出した台詞に目を瞠った。いつの間にそんなませたことを言うようになったのか。苦笑しながら再びその頬にキスを落とした。
「当然パパの、だよね?」
「ううん、違うの」
「……………」
 今度こそ完全に笑みが消えた。情けないとわかっていても、少し涙声になったまま問い直す。
「パパじゃないのかい?」
 うん、と再び頷く娘の姿にショックを隠しきれなかった。
 いつかは自分の元を離れていく存在だとわかっていても、いくらなんでも早すぎる。もう少し父親として娘を独り占めしたいと思うのは決して親ばかではなく。
 だがそうした心の動揺を見せまいと、深呼吸をした後落ち着き払った声でその先を促す。
 もし娘が結婚したいと思うほどの相手がいるのであれば、それがどれだけの人物かを見定める権利が自分にはある。そうに違いない、と自分に言い聞かせた。
「じゃあ…それは誰なのかな?」
「言えないの」
「どうして?」
 ともすれば震えそうになる声をなんとか理性で抑えつける。親にも言えない相手とは一体誰なのか。元来のネガティブな発想が想像に余計な拍車を掛ける。
 だがこちらの心配をよそに、モニカは子供らしくクスクスと笑いを漏らしながら言葉を続けた。
「言ったらパパ、邪魔するもん」
 時に子供は大人以上に残酷である。
 そんな言葉がどこからともなく聞こえたような気がした。今現在その言葉を身をもって体験してる自分としては、なんとも反論しがたい。モニカを腕に抱いていなければ、きっと今頃床に突っ伏して苦悩に身を任せていただろう。
 だがその当のモニカといえば、親の心子知らず。嬉しそうに思い人の顔でも浮かべているのか、うっすらと頬を染めて胸板に頭を擦りつけてきた。
 あまりの無邪気さに苦笑が漏れる。
 まだこんな年端もいかない子供なのに。いつの間にこの子はこんなに大きくなってしまったのだろう。いつの間に、親の手を離れて自分の考えを持つようになったのだろう。
 まだ両腕に収まる娘を抱きしめて、その耳にそっと囁いた。
「ねぇ、モニカ」
 なに、とばかりに大きなバンビのような瞳がこちらを見返した。髪の色とおそろいの栗色の瞳。愛しくてたまらない、半身と僕の娘。
 その身体を抱きしめて、頬ずりする。柔らかい頬の感触に、うっすらと涙が浮かんだ。
 こんなにも小さな存在。こんなにも、自分を勇気づける存在。
 マックスを、思い出した。
「あんまり急いで大人にならないで…」
 少しでも長く、自分と同じ時を過ごそう。
 少しでも多くの思い出を作ろう。
「……ね?」
 笑いかければ、しばらく不思議そうな顔をしたモニカが満面の笑みを浮かべる。
 少しはにかんだような、だが強い意志を感じる笑み。
 その表情にマックスの面影を見たと思ったのは、目の錯覚だろうか。
 胸に抱いたモニカの身体を、僕はもう一度強く抱きしめた。

 

 



企画後記

 

 

 

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