感謝企画−タイプE−

独白であろうと、健全は可能。
その人の中にある思い出だけで十分だと。
今も鮮やかに蘇るそれらに、涙する人も少なくない。

 


『オヤジの最期の日』

 閉まった扉を確認して、手中に収まる小瓶を握りしめた。
 不思議と気持ちは落ち着いていた。
 これでようやく解放される。
 そう思ったのかもしれない。自分はあまりにも多くのことを考えすぎたから。この小瓶が全てのいざこざから解放してくれると。そんな、ただ漠然とした想いを胸に抱いていた。
 先ほど部屋をあとにした青年。
 その背中を思い出し、苦笑する。初めて出会ったときはまさかここまで関係が続くとは思ってもみなかった。
 息子が死んで後、風の噂で彼が地球にいることを知って。全てはそこから始まった。いや、実際は息子の友達だと紹介されたあの時から始まっていたのかもしれない。
 軽薄そうに見える外見と、それを裏切る小狡そうな薄紫の瞳。相手が自分をどう見るかを承知で、その通りに演じて油断させていた。ひどく、ひねくれた子。それが彼の第一印象だった。
 だから地球で彼と再び再会したとき、迷うことなく娘の護衛を依頼した。親友の妹という甘い見方は一切なく、ビジネスとして。彼がそれをできるに値する人物だと思ったから。
 迷いはなかった。
 だが無意識のうちに、そんな彼に自分は息子を重ねていたのかもしれない。見た目は全く似てない二人。だが想いを表に出すか出さないかの違いで、根本的なところはひどく酷似していた。
 だからこそ、手近に置いて守りたかったのかもしれない。
 自分の力の及ぶ範囲で行動をしてほしくて。娘の護衛を頼み、度々自分に報告をさせ、そして最後は自分の最後を看取らせる形を作り上げた。
 なにもかもが、息子への贖罪だったのかもしれないかった。今度こそ…そんな気持ちで彼と接していることに、きっとあの青年は気づいていただろう。昔から聡い子だった。それを表に出すことは決してなかったが、彼は間違いなく知己に富んだ青年だった。
「なぁ…サウル」
 お前はすごい親友を持ったもんだ。
 脳裏に浮かぶ息子は、いつも弱々しそうな苦笑を浮かべた顔。親としてそんな息子の顔しか思い出せないのが情けなかった。
 だがその息子とも、もう少しで会える。
 メイエとも…。
 そして伝えなくては。彼は…エイゼンはまだ当分来ないと。
 手にした小瓶を握る手に力が入る。タプン…と瓶の中で揺れる液体は無色透明。劇薬だった。
 その蓋を静かに取る。
「我が人生に悔いなし、か……」
 どこかで聞いたような台詞を吐いた。まるで気持ちのこもってない、やる気のない声だった。いつか自分が死ぬときは必ず言ってやろうと。そう思い続けていた台詞なのに。
 いざ死を目の前にすると、そんな台詞を吐くこと自体が陳腐に思えて。
 掠れたような笑いが漏れた。
 はは…と。
 笑い終わらぬうちに瓶を傾ける。喉を、冷たい液体が一気に駆け下りるのがわかった。
 その瞬間、脳裏に浮かんだ言葉が無意識に唇から滑り落ちる。
「すまなかった……」
 一体誰に対しての謝罪。何に対しての謝罪。
 考える間もなく、スルスルと涙がこぼれた出た。静かに、だが幾筋も幾筋も。
 これまで我慢してきた何かが死を直前にして、堰を切ったように溢れ出てきた。
「すまなかった……」
 もう一度呟く。心なしか、呼吸が苦しい。それともこれは嗚咽のせいだろうか。
 流れる涙で視界がにじんだ。その様子を意識しながら、ああ、と思う。これが自分が最後に見る世界かと。
『馬鹿ね……』
 不意に、耳元でそんな声がした。柔らかな、耳障りの良い音。
『本当に、不器用なんだから』
 少し小馬鹿にしたような様子で、でも決して本意ではないことがわかる声の主は、これまで一度として忘れたことのない彼女に違いなくて。必死に目を見開こうとした。だが涙が邪魔で何も見えない。
 視界の端に見事なストロベリーヘアーが霞む。幻覚だろうか。死の間際に見るという願望を、自分は今見ているのかもしれない。
「グ、レイス……」
 声が掠れた。
 見えない彼女の姿は、だがその瞬間たしかに笑った。
 笑ったのだ―――。
「オブライエンさん?点滴のお時間ですよ」
 看護婦が入ってきた。その顔が患者を見て、苦笑に変わる。
「あとにしましょうね」
 そっとベッドから離れた。ドアノブに手を伸ばしながら、再び背後を振り返り小さく笑う。
「気持ち良さそうに寝て……」
 そして、ドアが閉められた。

 

 



企画後記

 

 

 

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