感謝企画−タイプF−

異性同士であろうと、健全は可能。
大切なのは相手を思う気持ちの強さで。
時にそれが表に出ては、照れ隠しに笑い合う。

 


『欠片集め』

 まだ、夢に見る。
 彼のこと。
 忘れようとは思わない。でも。
 再会が叶わないのがわかっているだけに、思い出すのは辛かった。
 そして今、その彼が目の前で笑っている。
 青緑の瞳。
 私を見つめて笑っているのに、なぜか胸が痛んだ。
 彼は彼なのに。
 彼は――私が求める彼じゃない。

「……どうかしました?」
 怪訝そうな声にハッと我に返る。間近に迫った顔に無意識に一歩下がっていた。
 気がついた彼が、ああ、と申し訳なさそうに苦笑する。
「すみません。気分が悪いんじゃないかと思って…」
「あ、ううん。違うの、ごめん。ちょっとボーっとしてて」
 慌てて弁解すれば、そうですか、とホッとした表情の彼につられて笑った。
 この笑顔を前にしてようやく普通に笑える自分に安堵する。以前は名前を呼ばれただけでぎこちない笑みを浮かべていたから。
 こうして素直に笑い返せることに、それだけ時が経ったことを実感する。
 あの頃短かった髪も、今では結べるほどに長い。その長さの分だけ自分は歳を取った。それだけ、彼を捜していた。
「いつも忙しそうだから、もしかしたら今日も僕が無理に誘ったのかなって」
 目の前で笑う青年。少し伸びた髪。印象的な瞳を覆う眼鏡。
 記憶の中にあった彼とは少し違う、でも確実に大人の男に成長した彼を見て再び深い笑みを浮かべた。
 私にとっての再会が、彼にとっては初対面だった。
 つまりはそういうこと。
 長年探し続けていた彼が記憶を失っていたことは、でも彼にとっては幸せだったのかもしれない。あまりにも沢山のことがありすぎたから。
 自己防衛という言葉が思い浮かんだ。彼が最後に取った選択肢。
 死ぬか、記憶を捨てて新たに生きるか。
「忙しいのは平日だけよ。週末はちゃんと休みがあるし。ラファエルこそ急に話があるって…」
「そうなんですけど、まずはお昼にしません?」
 お腹空いちゃって、というラファエルの台詞に笑いながら手近な店に入った。こんなところは何一つ変わってない。丁寧な言葉遣いと、父親を思わせる穏やかな笑みにもいくらか慣れた。
 少しずつ、今のラファエルを受け入れている自分がいる。
 そのことに少しだけ、罪悪感を感じることも自覚しながら。ただ時々耳に蘇る声が、ひどく気持ちを動揺させた。
 ―ひでぇよ、キャッスル―
「……ぇ…」
 思わず声を上げれば、なに、とばかりに首を傾げるラファエルが目の前。本人を目の前にしてその人の声を頭に浮かべる自分に苦笑した。
「なんでもない」
 ごめん、と言った台詞は果たしてどちらに向かってか。
 追求するのが怖くて、少し足を速めた。
 昼時ということもあって、人で溢れた食堂。その一画に腰を落ち着かせメニューを注文し終えたところで早速本題に入る。
「で、なに?」
「相変わらず単刀直入ですね」
 クスクス笑うラファエルに、知らず頬が染まった。彼にとって自分はせっかちで大雑把で、そこらの男よりも強い女ということになってるらしい。
 かつてはそれなりに良い感じの雰囲気になったこともあるのに、その彼にこんな印象を持たれる自分が情けなかった。
 照れ隠しにわざとふて腐れた声を出す。
「しょうがないでしょ。元々こういう性格なんだから」
「誰も悪いなんて言ってないですよ」
「……あんた性格悪くなったわね」
「いつと比べて?」
 さらり、と言われた台詞に不覚にも一瞬声を失った。その隙をついて、ラファエルが瞳をまっすぐに向けてくる。かつては邪眼と恐れられたその瞳も、だが今は何の効力もない。ないはずなのに…目を反らすことができなかった。
「話があるって言いましたよね」
 ゆっくりとした口調。なぜだろう、こんなところで妙に彼の父親を…ユージィンを思い出す。あの瞳。あの口調。かつて火星を一手に収めた彼も、こんな風に自分を見つめていたことがあった。
「僕が記憶をなくした時の頃のこと、教えてもらえませんか?」
「……なんで急に…」
「自分が何をしてたのか、どんな人間だったのか。知りたくなるのは当然ですよ」
 柔らかく笑うラファエル。その笑顔が一瞬曇る。
「時々不安になるんです。こんな自分で良いのか、今の自分は誰なのかって」
 だって、と言葉が続く。その顔に、もう笑みはなかった。
「記憶をなくすなんてよっぽどでしょ?もし自分が…その、人殺しとか……」
 言葉を濁して苦笑する姿に胸が痛んだ。言えるはずがない。その手が多くの命を奪ってきたこと。実の父親を手に掛けたことを。
 だが罪のない人間なんているはずがないと慰めるのは違うような気がした。だから。
「私が覚えてるラファエルは、馬鹿で犬コロみたいにはしゃいで…」
 言いながらも鮮やかに彼の姿が脳裏に浮かんだ。
 満面の笑み。生気に満ちた青緑の瞳。ひょろりとした体躯からは想像がつかないぐらいの甘味好きで、好物はバナナ。
 いつだって一人で大騒ぎして、そこにいるだけで周りが明るくなった。エイゼンと張り合ったり、シドーに一方的に文句を言ったり。
 普段はそんな子供っぽさが目立つのに、でもいざというときには驚くほど頼りになって。
彼といると心が安まった。
「訓練中も無駄口が多くて、よく私のことババアとか鬼なんて憎ったらしいこと言うから完全装備で10キロ走らせたこともあるわ」
「……虐めですか?」
 苦笑したラファエルと目が合って、思わず吹き出した。たしかにそう取られてもおかしくないかもしれない。
 でもラファエルは文句を言いつつもしっかりそれをこなしてきた。
 ―キャッスル、てめー!―
 蘇った声に再び笑みを深くした。
 今目の前にいる穏やかな彼からは想像もつかないような、荒々しい声。
「でも自分を犠牲にしても相手を助けようって…優しいところもあってね。私も何度か助けられたわ」
 ―早く行け!てめーは隊長なんだろうが!―
「火星に行ってからは…そう、本当に色んなことがあって……」
 走馬燈のように駆けめぐる映像。
 ―はじめまして―
 掠れた声での挨拶は、火星元首の息子としてのものだった。そして自分はそんな彼に距離を感じて、あろうことか彼の父親に恋をして。
 ―あんた、俺のこと好きだって言ってくれたじゃんかよ―
 怒りに声を震わせた彼。その彼を裏切ったことへの罪悪感で涙を流した自分。
「地球にいた頃とは別人みたいに大人っぽくなって、私もそう簡単に口聞けなくなっちゃったのよね」
 コップの水を一口飲んで、笑って見せた。そしてそんな自分に安堵する。大丈夫、まだ笑える。
「でも結局また地球に帰って、その次は火星に行って…」
「慌ただしいですね」
「そうね、今考えるとめちゃくちゃなスケジュールだったわ」
 呆れたような口調の彼に、再び笑った。あれだけのことが、言葉にするとこんな一瞬で終わってしまう。
 そんな一瞬のために、自分たちはどれだけ悩み苦しんできたか。
 ―いくらキャッスルが好きでも、俺にもプライドぐらいあんだよ!―
「それで最終的には火星でラファエルに再会して、結構その時はお互い言いたい放題言っちゃってね。あんたは思った以上に昔のまんま、なんでもすぐムキになるから…嬉しかったな」
 ―そんなえらそうで何が女の一世一代の告白だよ?―
 結婚してほしいと頼んだ自分に飲んでたジュースを吹き出した彼。それからやたらと女みたいにムードがどうの、恥じらいがどうのって説教してきて。
 結局最後はお互い今更みたいに恥ずかしがって、真っ赤になった。
「それで…あとは……」
 それが最期だった。
 その後の彼は、今目の前にいる彼に繋がって。その間にいたラファエルを、自分は知らない。
「……ミズ・キャッスル?」
 怪訝そうな声がした。当たり前だ。自分は泣いてるんだから。
 こんな人でごった返した、ニンニク臭い食堂の隅でいきなり泣き出したんだから。
「ミズ・キャッスル…あの……」
 戸惑った声。聞き慣れた声に、だが違うと首を振る。
 そうじゃない。
 自分が求めている声はいつだって快活で、憎たらしくて…でも愛しくてたまらなかった。
「ち、がう…」
 流れる涙をふき取っても、まるで涙腺が壊れたみたいに次から次へと涙が溢れる。
 今までどれだけラファエルを思い出しても泣いたことはなかったのに。
「キャッスルって……」
 呼んで、と涙混じりに頼んだ。そんなことをしても仕方がないとわかっているのに。
 もう感情の水槽は悲しみで溢れてて、これ以上の差違を認めたくなかった。認めてしまえばきっと彼を裏切ってしまう。ラファエルをまた、裏切ってしまうから。
 ただ、ラファエルに、昔のように呼ばれたかった。
 それだけだった。
「キャッスル…」
 静かな声がした。そっと俯いた頭に手のひらが乗る。優しく撫でられた。
「泣かないで」
 囁かれた声に再び涙が流れる。
 触れた掌にラファエルを思う。優しくこちらを気遣うように掛けてくる声に、ラファエルを感じる。
 彼は消えてない。今もこうして、新たに彼の中に息づいてる。
 そう感じ取った瞬間、嗚咽が漏れた。
 ラファエル。
 やっと、見つけた―――。

 

 



企画後記

 

 

 

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