『黎明の風』 Written by Takumi
血を吐いた。
目の前で、見えない力に貫かれた身体が大きくのけぞる。
「×××××……ッ!」
その光景に衝動的に叫んでいた自分。考える間もなく走り出す。足がもつれるのが焦れったくて、だがそれに舌打ちする時間すら惜しいかのようにただひたすら走った。
背中から床へ、ゆっくりと倒れる身体。
間一髪の所で抱きとめた。なぜそんなことをしたのか、自分自身、わからなかった。
「おい!ユージィン!」
こんなところで死ぬなんて許さない。
血の気を失った顔を見下ろし、焦燥感に駆られた自分を鼓舞するように何度もそう頭の中で繰り返す。
だが腕の中、ぐったりと身を預けた身体は予想以上に軽くて。目を瞑り、長いまつげがその端正な顔に影を落としているのが余計奴をこの世のものではない何かに見せていた。
「ユージィン!貴様、これぐらいで…起きろ!」
抱きしめた身体を乱暴に揺する。無抵抗に揺れる頭。ツ…と微かに開いた唇から鮮やかな鮮血が流れ出た。
顎を伝い、抱きとめる腕に滴り落ちる。赤い、紅い染みが黒い軍服にゆっくり広がる。それはまるで、奴の命の欠片が同時に流れているようでひどく落ち着かなかった。
「ユージィン!ユー……痛ッ!」
頭の芯を突き刺すような痛みに息を呑む。死を間近に控えたユーベルメンシュ特有の頭痛。だがなぜこんな時に限って…死を目前にした男を目の当たりにした今発生するのか。
「…く、そ……」
腕の中、ぐったりと身を預けた男を握り締めないよう唇を噛み締めた。
脳を抉られるような、すり潰されるような痛みに脂汗が浮く。口腔内に広がった鉄の味で唇を切ったのだと知った。
だがそんなことに構っている暇はない。今こうしている間にも、目の前の男は命を手放そうとしているのだ。
「……ヴィ…トー、ル……」
掠れた声で我に返る。
目をやれば、わななく唇、震える睫毛。うっすらと開いた瞼から見慣れた青緑の瞳が覗いた。
同時にそれまで吐き気すら感じた頭痛が治まる。大きく息を吐いた。
「貴様、なにを考えてるんだ!」
「…あ、のこ……は」
「人より自分のことを気にしろ!死ぬ気か、お前」
やっとの覚醒。だが安堵する間もなく第三者の存在を気にする奴が気に入らなくて、つい大声を上げた。
「ふふ…おかしいね……」
こんなに髪を振り乱して。君らしくないよ。
息も絶え絶えな様子で、だがいつもと何ら変わりない笑顔を浮かべて奴が言う。
震えながらも伸ばしかけた手が自分の髪をかき上げようとしているのを認め、その手を握りしめた。
火傷の痕。
その感触に、遠い昔を思い出した。
いや、本当はそれほど遠くはなかったのかもしれない。全てが夢のようなあの頃、目の前の男をただ憎むことで生を繋げてきた自分。
どうしてそこまで憎んでいたのか。こうして瀕死の奴を目の前にしたときから本当は理由などわかっていた。
答えは――簡単だ。
「ユージィン。いいか、俺がこんなことを言うのは一生に一度あるかないかだ」
「…や、けに……勿体、ぶるん…だね……」
微かに笑い声を上げた男。その口端から新たな鮮血が流れ落ちる。こちらを見る青緑の瞳は既に見えていないのか、いつものような光がない。
邪眼とまで恐れられた瞳。だが今は主の命の灯火に伴うかのように弱々しい眼差しを投げるばかりだ。
その瞳に向かい合い、息を吐く。
「いいから聞け。俺は…お前が憎かった。全てを裏切ったお前が、心底憎かった」
「ふ…知って、るよ……」
「憎いと…思ってたんだ。そう思うことで…自分を誤魔化していた」
「うん…それも、知ってた……」
弱々しい声に目を見開く。
手にした奴の掌を握りしめた。
「知って…だったらなんで……」
わかっていたならそれを弱みにいくらでも自分を陥れたはずだ。この気持ち。奴を想う気持ちを利用するなりからかうなり、それこそ方法はいくらでもあったはずなのに、なぜ……。
「ヴィ…クトール……」
握りしめていたはずの掌がスルリ…と抜ける。震えたまま、ゆっくりと持ち上がる腕が顔近くまで来たとき、掌がそっと頬を撫でた。
かさついた、筋張った手。
瑞々しさも欠片もないそれは、やけに死を身近に感じさせた。たまらずその上に自らの手を重ねる。それを認め、青緑の瞳が一瞬驚きに見開かれた。だがすぐさま笑みを浮かべ、こんな状況でもなおその笑みを消すことなく、唇を開く。
「僕も、そ…ッ……!」
一瞬の間。
次いで血に染まった視界。立ちこめる特有の臭い。
「ユージィン!」
「……ッ、ぁ………」
目を瞠る量の血を吐き出した唇がわななく。血で真っ赤に染まったそれは、確実に迫った死を予感させた。内臓がやられてる。この量……助からない。助かるはずが、ない。
「死ぬな!死んで…俺から離れるな!」
虚ろな瞳に向かって怒鳴った。
そうでもしなければ今にも意識を手放してしまいそうで。目の前の奴から僅かな命の灯火が消えてしまいそうで。
抱きしめた身体を何度か揺する。
口端から溢れ出た血がその度に軍服を汚す。もうどこからが黒で赤いのか、見分けることも難しい。
―――もう、ダメだ。
呼びかけに応じない瞳。見開いたそれは何を見ているのか。
微かに痙攣をするだけの身体を見下ろし、たまらず拳を握った。死の前にあってはユーベルメンシュもブルーブラッドもない。
ただ無力で、そんな自分が嫌になるだけだ。
空を見つめる青緑の瞳。せめてもの手向けだとばかりに、そっと瞼に手を伸ばした。安らかな顔で逝かせてやりたかった。
だが伸ばし掛けた手は、引きつったように動いた喉と鮮血に染まった唇に阻まれた。
「ユー……」
「閉じな、いでくれ…最後まで……君を、見て…いたい、んだ……」
言いながらもその瞳から一筋の涙が流れる。鮮やかな青緑が一瞬だけ蘇った。
喉を引きつらせながら、再び血に染まった唇が震えながら訴える。
「暗い、のは…嫌なんだ……あいつが、来る……」
あいつ。
死の間際でもヘルの存在を気にするユージィンの姿に言葉が出ない。
もうヘルはこの世にいないのに。それを促したのはお前自身だろうと、だが言いたくても言えない。言ったところで理解など到底してもらえないだろう。
それだけ意識が朦朧としている。それだけ、死が近づいている。
「わかった」
頷いて乱れた前髪を払ってやる。漆黒の髪は汗を吸ってしっとりと湿っていた。
「ヴィ…トール……」
「ここにいる」
安心させるようにその額に手を置いた。一瞬ホッとしたように表情をゆるめた顔は、だがすぐさま苦痛に歪む。
「ひと…り、は……嫌、だ…」
溢れ出る涙が頬を流れ、唇の鮮血を微かに落とした。赤く染まった滴が顎を伝う。
もう見えてはいない目で涙を流す姿はひどく奇妙だった。なんとも言い難い感情が胸の中を渦巻く。
今奴は何を見て、なにを感じているのか。
死を間近にした者だけが見ることを許される世界を見ているのだろうか。
「い、や……」
「ユージィン……」
伸びてきた手がそっと肩に触れる。掴む。その指先が軍服に埋まった。
「ユー…ッ!」
「だから…一緒に、逝こう……」
消え入るような声のあと、それまで虚ろな眼差しを投げていた瞳が一瞬見開かれる。
鮮やかな青緑。
邪眼と呼ぶに相応しい、妖しいほどに美しい瞳。
そうだ、自分はいつだってこの瞳に見つめられていたかった。奴の視界に留まって、この存在を認められたかった。
ようやくその願いが叶ったのだ。
今、ようやく―――。
折り重なるように息を引き取った二人を、少年がただ無感情に見下ろしていた。
その瞳は今し方息を引き取った男と同じ、青緑。
「幸せだろ」
親父。
小さく呟いたあと、その瞳から一筋の涙が流れ出た。
だがその涙を一陣の風が拭き取る。
黎明の風だった―――。
ドリーム旋風吹き荒れる!(笑)
本当にもうなんでこう夢みたいな展開ばっかり考えるんでしょうね、俺は(笑)
……そのぐらいオヤジーズに思い入れがあるからだよ(-_-;)
でも本編ではできるだけ死人が出てほしくないッス。
ガンガン出るとは言われたけど…1人でも多くの人が生き残ってほしいなぁ。
というわけで、楽しんでもらえれば幸いですm(_ _)m
しかしKZももうすぐ終わりか…妙な気分だね。
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