『大空学園』 Written by Takumi



 見渡す限りの野原。
 人々の喧噪や、ネオンの明るさとはまったく無縁の土地。
 だがその真ん中、ちょうどその野原の中心に、突如現れたかのようにまるで不釣り合いな重厚な造りの建物がそびえ立っていた。
 ツタの葉がその壁面の多くを覆い、細かな彫刻が施された門戸が正面。
 建物中央にある大きな時計塔がまるで灯台のように辺りを威圧する。
 端から見てもなにを目的とした建物かわからない。
 だが人々はそこを、大空学園と呼んでいた─── 。 

「あぁぁぁーーーーッ!!!」
 静寂なHR時間中、2年英語科にとどろいた大絶叫。
 それまで和やかな転校生紹介のワンシーンを展開していた教室の雰囲気が、その大声で一変した。
 興味なさげにうたた寝を決め込んでいた生徒は何事かと顔を上げ、隣と話をしていた生徒も思わず教壇前へと目を向ける。
 そして改めて、今日からクラスメートとなる転校生の顔を眺める。
 癖のある髪、明るい茶色の瞳が印象的な、なんともやかましそうな少年だ。
 黒板に目をやると、本人が書いたのだろう、ミミズが這ったような字で『リチャード・ハーレイ』とある。
「ハーレイ君」
 隣にいた教師はあまりの大声に思わず耳をふさいだ。しかしまだキー…ンという余韻が耳の中に残っているのに顔をしかめる。
 齢28歳にして、温厚な性格と生徒の意見をよく聞くことで生徒・父兄共に人気のある大空学園が誇る数学教師。
 だがその実、たくわえた口髭のおかげで常に実際年齢以上に見られてしまうのが唯一の悩みだった。そしてその老け顔ゆえ、数年前オヤジ狩りにあい生徒の恐ろしさを身をもって体験した彼は、それまで進んでいたエリート教師への道を諦め、ここ大空学園へと転任してきた。
 穏やかな顔とは裏腹に、暗い過去を持つ男、それが2年英語科の担任だった。
 とはいえ、相変わらず教室は転校生の奇行にざわつき、騒がしい。これでは他のクラスにも迷惑が、と焦る担任をよそにリックは言葉にならない声をあげる。
「なっ……なんで…………」
 ハーレイ君、と担任が再びたしなめるのを、だがリックは完全に無視し、視線の先、窓際の最後列に座った青年を指さし怒りで身体を振るわせていた。
「なんでテメーがここにいるんだよ!」
 教室中の生徒が一気にその指先の主を振り返る。
 そしてその先にいた青年の姿に、ああ、と納得の頷きを交わした。
 そこにいたのは、漆黒の髪、漆黒の瞳の美丈夫。
 だが当の本人は自分が皆の注目を集めているのにも関わらず、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「なんとか言えよ!」
 その態度がまたしゃくに障り、リックは再び青年に向かって声の限り怒鳴った。
 しかし彼はちらりとも視線をこちらに向けようとはしない。
「レイストン君と知り合いかね?」
「レイストン?」
「リチャード・レイストン。皆はロードと呼んでるがね」
 ようやく耳鳴りのやんだ担任が同じく、リックの指さす人物を認め顔をほころばせた。
 そしてリックの反応を確かめずに、言葉を続ける。
「それなら好都合だ。彼は我がクラスの総務でね。知り合いなら気心も知れてるだろう。席は彼の隣が空いてるからそこに座りなさい」
「な、なんでッ!」
「校内案内も彼にしてもらうといい。教科書はもう揃ってるかい?」
「い…いやまだ……」
「なら教科書が揃うまで机をくっつけて一緒に見せてもらいなさい。わかったね、レイストン君」
 怒りが頂点を極めなにも言えないでいるリックを納得したと勘違いし、担任は窓際のロードに総務としての任務を命ずる。
「はい」
 そしてそれは、ロードの冷ややかな返答と共に容認されたのだった。しかしそれで黙っているリックではない。ハッと我に返ったと同時に、腹の底から声を出した。
「はい、じゃねーだろぉぉーーーッ!!」
「こらこら、あまり大声を出しては他のクラスの迷惑になるだろ?」
「でもっ……でも先生……ッ!」
「隣のドイツ語科とは、その、言いにくいがうちとは険悪な雰囲気でね。だからあまり問題を起こしてほしくないんだよ」
「俺の…俺の人権は?レイストンだかなんだか知らねーけど、俺あいつのことほとんど知らないのに……」
「君たちがよい友達になれることを、私は心から祈ってるよ」
 にこり、と目の前で微笑まれ、ついでに手なんかも握られてリックはついに抗議の言葉を失う。この担任相手になにを言っても無駄だと、転校して早々に悟ったからだ。
 しかしその問題が解決すると、次にふとした疑問がリックの頭をよぎった。
 頭の中では、やめとけ!と本能が警告する。しかしそれをわかっていながらも、好奇心に勝てずにリックは口を開いた。
「あの、先生…………」
「ん?」
「どうして……こんな時期に席が空いてるんですか?」
 思いついたイヤ〜な可能性に、思わず敬語になってしまう。
 今は新学期も過ぎた6月。
 普通なら全席に生徒が割り当てられているはずだ。数が残るということはあり得ない。
 たしかに前日にリックのために席を作っていたというのならわかるが、先ほど担任は「空いている」と言った。それはつまり……
「ああ、ごめん……もう大丈夫だと思ったのに……」
 そして質問に答える前に、目元を拭う担任。教室内のあちこちからヒソヒソと、あいついい奴だったよな、と声があがる。
 リックの血圧が一気に下がったことは言うまでもない。
「その席に以前座っていた……」
「わぁーーーッ!!言うな、言わなくていい!!」
「でも知る必要も……」
「お、俺の席ロードの隣だったよなっ!おう、仲良くしようぜ!!」
 青ざめた顔で担任の声を振り切ると、リックはそそくさとロードの隣席へと腰を据える。
 しかし空席の理由が明白になった今、あまりいい気持ちではない。
 おまけに隣はあの憎き喧嘩野郎なのだ。
 ちらっと横を盗み見し、その端正な横顔にやや悔しがりながら、
「覚えとけよ」
 そっと囁いた。しかし相変わらずロードは外の景色に目を向けこちらを見ようともしない。
 教壇では担任が来月行われる期末テストについて事務報告をはじめている。
 その様子をボーッと眺めながら、リックは教室内を見回し再び見慣れた顔を見つけた。
 再び叫びだしそうな唇を自ら覆い、くそ、と心の中で罵声をあげる。
 その視線の先にいたのは、陽気なロシア人と陰気で生真面目なイタリア人。
 2人とも、リックのほうを振り返りにやり、と笑みを送る。
 転校初日、リチャード・ハーレイことリックは、この先保障された憂鬱な学校生活に、1人溜息をついたのだった。

 そもそも、リックがこれほどまでにロードを嫌うにはそれなりの理由があるのだ。
 事件はその日の早朝に起こった。
 転校初日とあって、まるで遠足前日のように興奮して眠れなかったリックは、7時に学校に到着していた。
 学園は全寮制だが、入寮手続きだのなんだのという関係は今日全てしてしまう予定なので、今日のとことは延々3時間の道のりを自宅から通ってきたのだ。
「ふぁ〜〜〜〜」
 校門をくぐり、しだいに重くなる瞼を鼓舞するようにあくびと共に大きくのびをした。
 グレイのブレザーをだらしなく身につけ、その首に掛かった学校指定のネクタイは、既にお情け程度に絞められたもの。端から見ても、とても転校初日の生徒には見えない格好である。
 しかし早起きは三文の徳という。
 その言葉を信じてなにか楽しいことはないか、とウロウロ校内を巡回していたリックの耳に、朝のすがすがしい雰囲気とは似合わない罵声となにかが砂上を勢い良く滑る音が聞こえた。
 途端、それまで半開きだったリックの目がカッと見開かれる。
「喧嘩か!」
 ひらめいたと同時にダッシュ。俊足を誇るリックはすぐさま音の発信源である体育館の裏へと駆け込んだ。
 実を言うと、リックは喧嘩が大好きだった。三度の飯より喧嘩が好き、をモットーに地元では少しは名の知れた喧嘩野郎である。
 というわけで、転校ということで少し緊張した身体をほぐす絶好のチャンスを得た彼は嬉々としてその現場に踏み込んだのだが―――。
 リックが見た光景は、既に10数人の生徒が地面に倒れ唸っているところだった。
 誰の目から見ても明らかな、喧嘩終了の現場である。
「なんだよ〜〜」
 力んできたリックは思わずがっくりと肩を落とす。
 だがそんな彼に、突如背後から何者かが羽交い締めをしかけてきた。
「がっ………!」
「仲間か!」
 喉に回された腕がぐいっと食い込み、呼吸が苦しい。息を吸い込もうと喘ぐリックの耳元に、低い声音が厳しく問いかけた。その腕を必死にはずそうともがきながらも、リックは呼吸の合間になんとか声を発することができた。
「ちが……はな、せ………」
 途端、それまでものすごい力で絞めていた腕がパッと離れる。その拍子に一気に喉に入ってきた酸素にリックは思い切りむせた。
「ごほっ……おま、こそ……げほっ…誰なんだよ………」
 しかしその問いには答えず、男は冷めた目つきでリックを一瞥すると、
「誰にも言うな」
 それだけを言い、くるりと背を向けその場を去ろうとする。
「待てよっ!」
 しかしそれで大人しく見送るリックではない。咳き込む身体をなんとか立てなおし、青年の腕を背後からガシッと掴んだ。そのままの勢いで自分のほうへと引き寄せ、その顔を拝む。途端、リックの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「お前……」
 言葉を失う。見慣れぬ漆黒の瞳が自分を射抜いていた。
 しかしそんなリックの反応に慣れているのか、青年はハッと鼻で笑い、
「そんなにこの目と髪の色が珍しいか」
「あ……いや………」
「なら黙っとくんだな」
 言うが否や、下腹部に走った激痛。
「がっ……は………!」
 身体が自然、くの字になる。見れば腹にめり込んだ拳が深々と決まっている。
「なんで……」
「運が悪かったと思え」
 スッと抜かれる拳。その拍子にがくっと膝の力が抜け、リックはその場にうずくまった。
 ザッザッと耳には男がその場を去る足音が聞こえる。
「くっそ〜〜ッ!」
 腹を抱えながら、リックは精一杯の大声を上げる。あまりの痛さに額に脂汗が浮かんだ。
 だがそのとき、背中に何者かの手が掛かった。思わず身体が強ばる。
「だれ……」
「奴に喧嘩を売ろうなんて、バカなことをしたものだな」
 同じく冷ややかな声。だが先ほどの男とは違い、微かに哀れみが含まれた声音にリックは顔を上げた。
「奴はこの学校の喧嘩王だ。よほどのバカじゃないと手は出さないぞ」
 ダークブロンドの髪を短く刈り込んだ、ヘイゼルの瞳をしたきつい顔立ちの青年。
 言いながらもリックを立ち上がらせようと手を差し伸べるところを見ると、根はよい青年なのかもしれない。とはいえ、きつい眼差しが妙に彼を取っつきにくい印象にしていた。
「あんたは………?」
 その手を受け、ようやく立ち上がることのできたリックは未だに痛む腹を抱えながら正面の男をいぶかしげに見つめた。
「ガブリエーレ・ミノーニだ。パードレでいい」
「パードレって……司祭?なんで?」
 あまりに接点のないニックネームに、リックは首を傾げる。
 するとパードレはスッとシャツの第一ボタンをはずし、そこから十字架を取り出すと、
「宗教部の部長を務めてる。入部者はいつでも大歓迎だ」
 自己紹介のついでに勧誘をするというお茶目なところを見せてくれた。
 スッと出される手が握手をしているのだと察し、手を差し伸べたリックだが、
「そうじゃない」
 と言われ、え?と思う間もなくシャツを捲られ素肌に手が這わされた。ぎょっとしたリックが当然わめく。
「な、なにすんだよ!テメー、ホモか!?」
「なにを言ってる。痣になってないか確かめるだけだ」
 たしかに、先ほど殴られた場所を丹念に調べる手つきはいやらしさの欠片もない。
 邪推した自分が恥ずかしくて、リックは俯いた。
「痣にはなるが、大したことはないな」
 良く鍛えてる、と微かに笑うパードレにリックは小さくサンキューと呟き、
「で、さっきの奴だけど……」
 言葉を続けようとしたが、
「うひゃ〜、参った参った」
 背後の屍の山から突如起こった間抜けな声に、意識を奪われた。
 見ればそれまで倒れていた男達の間からひょいっとばかりに1人の青年が立ち上がる。
 濃い褐色の髪と愛嬌のある瞳が印象的だ。
「ピロシキ、またお前か」
 そんな状況に慣れているのか、パードレは呆れたような声で青年を迎えた。するとパードレの姿に気づいた青年がひょこひょこと2人のところに近づいてくる。
「昨日ロードが果たし状もらってるの見ちゃってね。放っとく手はないでしょ」
「だからと言って毎回ボロボロになってたら世話ないだろ?」
「そっか?そんなことより今回ので俺のスコア、また伸びたし♪」
 目の横に青あざを作りながらも、ピロシキと呼ばれた男は嬉しそうに笑っている。
 その様子に目を白黒しているリックに気づいたパードレが、肩をすくめて紹介する。
「本名は長いから覚える必要はない。俺達はピロシキと呼んでる。この通り、喧嘩好きだが毎回クロスカウンターで勝負をするから、学内では被喧嘩として有名だ。ピロシキ、こっちはリチャード・ハーレイ。転校生だ」
「あのねぇ、パードレ。その紹介の仕方はないでしょ」
 文句をたれながらもピロシキは、よろしくな、とリックに笑いかける。
 顔だけ見ればなかなかの色男だ。とはいえ、殴られた痕は話している間にもどんどん腫れてきている。放課後にはおそらく二目と見れない素晴らしい顔ができあがっていることだろう。
 しかしその間も、リックは動物的な本能でこれ以上彼らと関わることが危険だと察していた。だからにこやかな笑顔をその顔に浮かべると、
「んじゃ俺、校長室に行かないとやべーから」
 まるっきしの嘘をさらりと吐いて、爽やかにその場を立ち去るべく彼らに背を向けた。
「またな〜〜」
 背後から聞こえた声に、リックは内心、冗談じゃない、と心底思った。
 あんないかれた奴らとこれ以上関係を持ってたまるか、となかば恐怖に近い感情は自然彼の足を早める結果となった。
 どうやら早起きの報酬は、大空学園きっての変人3人と出会うことでチャラになったようだ。
 しかしこれによって彼の学園生活が普通でないものになったという事実を、リックはまだ知らなかった。
 哀れリチャード・ハーレイ、高校二年の春である。

 さて、舞台は再び2年英語科の教室。
 午前中の授業も無事終わり、昼食タイム兼昼休みの時間がやってきた。誰もが嬉しそうに弁当を広げる中、不機嫌丸出しの生徒がむすっとした顔で目の前のクラスメートを睨み付けた。
「なんでこの俺がお前らと一緒に弁当食わないといけねーんだよ」
 睨んだ視線の先にいるのは早朝に顔合わせを果たしたピロシキとパードレ。
 チャイムが鳴ると同時に弁当を持ってきて、ご丁寧にも机をリックと向かい合わせにセッティングしてくれた。
「なに言ってんの。転校初日で心細いだろう転入生に、一緒にランチをしてあげようっていう俺達の優しい気持ちがわかんない?」
「ぜんっぜん!」
 力説したリックに、冷たいね〜、とピロシキは肩をすくめた。その隣では早速パードレがサラダの入ったタッパーを開け黙々と食べている。
 しかしリックにはもう言い返す気力もない。
 それもそのはず。
 午前中はあのにっくき喧嘩王ロードと机をひっつけての授業を4時間も受けたのだ。
 やれ肩が当たっただの、境界線から入ってくるなだの、いちいち過剰に反応してリックは憔悴しきっていた。
 とはいえ、当のロードはまったく意に介さぬ態度で窓の外を眺めるばかり。
 その態度が余計しゃくに障り、リックは必要以上に怒鳴る羽目になったのだ。
 おかげで喉はガラガラ。
 これ以上大声を出すことはできれば避けたかった。
 しかし物事はそううまくはいかない。
 目の前で嬉しそうに持参した水筒から透明な液体をコップに注ぎ、一気に煽ったピロシキが満足げに首を振る。
「くは〜〜、昼時はやっぱこれに限るな」
 心底幸せ、といった感じのピロシキに呆れた口調でパードレがすかさず答える。
「お前は昼に限らず毎度毎度飲んでるだろうが」
「人の揚げ足を取るようなこと言うんじゃありません」
 しかしその様子を静かに見ていたリックも、ピロシキのはく息に含まれた独特な匂いにピクッとこめかみを震わせた。
「ピロシキ、お前それ……酒じゃねーか!なに考えてんだよ、未成年!!」
「黙ってりゃわかんないって」
「そういう問題じゃねーだろ!ここは学校!神聖な場所なんだぞ!!」
「ハーレイ、学内で最も神聖な場所は礼拝堂だ。そこ以上に神聖な場所などあり得ない」
「俺を怒るのか!?違うだろ、怒られるべきなのはピロシキだろ!?」
 なんだかんだ言って2人のペースに巻き込まれているリックだ。
 しかし本人はまったく気づかないので、ある意味幸せかもしれない。
 とはいえ、ぎゃあぎゃあと騒いでいる中、視界の端を掠めた目の覚めるような赤色にリックは思わず言葉を切った。
 窓の外を見ると、赤いブレザーを着た男が渡り廊下を渡っているところ。
 だが大空学園はグレイのブレザーが指定だ。当然彼の存在は浮きまくっている。
「なぁ、あれ誰だよ」
 リックの言葉に、それまで掛け漫才をしていた2人も、どれどれ、とばかりに窓から顔を覗かせた。だがすぐに、ああ、と納得顔で昼食を再開する。
「生徒会長だ」
「生徒会長!?あんな真っ赤な趣味のわりぃブレザー着てる奴が!?」
 心底驚いているリックの、だが的を得た発言にパードレは苦笑する。
「あまり本当のことを言ってやるな」
「でもよ〜……」
「奴は特別なんだよ。これまでは単に飾りでしかなかった生徒会長って座について、校則革命をしたすげー奴だからな。校長もPTA会長もレッドバロンには一目置いてるし」
「レッドバロン?」
「奴の異名だよ。あの通り、真っ赤なブレザーを着てらっしゃるからな」
「だからってなんで赤色なんか……」
「奴の発案だ。会長は学園の象徴だから、いつどこにいてもわかるようにしなくてはいけないという名目で、学校側にも納得させた。そういう意味で、赤は目立つ色だからな」
「ま、奴が自分の案を実行するために、影で闇に葬られた生徒の血がブレザーに染み付いてあんな色になった、なんて言う奴もいるけどな。これだからドイツ語科の連中はよ」
 バカにしきった口調でピロシキも肩をすくめてみせる。
 どうやら2人とも、あの会長には良い感情を持っていないようだ。と言うよりも、ドイツ語科に、と言った方がいいのだろうか。
「じゃあいわゆる独裁ってやつ?」
 恐る恐る聞いたリックに、だがしかし2人は見合わせたかのように首を振った。
「それだとリコールなんかで奴もさっさと辞任に追い込めるんだけどね。幸か不幸か、あれで結構いい人だから文句も言えねーんだよな」
「ブレザーを着た瞬間に人が変わるという噂もあるがな。なんにせよ、ファンクラブとかいうふざけた集団がよけい奴を神聖化してることはたしかだ」
 パードレの言葉に、リックは目を見開いた。次いで素っ頓狂な声が出る。
「ファンクラブぅぅ〜〜!?」
 そんなリックに、神妙に頷くとパードレはファンクラブの活動内容を詳しく説明してくれる。
 しかしなぜ彼がそこまで知っているのかも、ある意味謎である。
「会長のブロマイドを売ったり、毎日昼食を一緒に取ったり、月に一度会報をくばったりと頑張ってるようだが」
「ブロマイド……」
 カルチャーショックに打ちのめされたリックは呆然と呟いた。
 まさか男子校に、いや、男子校だからこそか。そんな怪しい集団がいるとは夢にも思わなかった。
 しかし彼の驚きはこれだけにとどまらない。
 笑いをこらえるようなピロシキの顔が目の前に現れかと思うと、更に笑えない事実が彼の形良い唇から飛び出した。
「ちなみに生徒会副会長は白いブレザーで、会長にべた惚れなんだとよ」
「べ…べた惚れ!?そ、それってどういう意味で?」
「可能性を秘めた言葉だねぇ。でも答えは自分で考えような♪」
「それって……それって…………」
「ま、ヒントとしてはその副会長がファンクラブの会長をしてるってことかな?」
「う……あぁ………」
 混乱しきった頭を抱えるリックをにやにやと嬉しそうに眺めるピロシキの頭を、だがパードレの手が容赦なくはたいた。
「ってぇ〜、なにすんだよ」
「嘘を教えるな」
「だってこいつ、本気で信じるんだも〜ん」
「へ……嘘って……?」
 2人のやりとりにグルグル悩んでいたリックが呆けた顔でパードレを見やった。
 そんなリックの頭を可愛そうに、とばかりに撫でてやるパードレが、
「副会長が白いブレザーというのは本当だが、会長に対する気持ちはあくまで真面目な忠誠心だ。邪推をする必要はない」
 噛んで含めるようにゆっくりと教えてやる。
 その横で、行き過ぎた忠誠心だけどな〜、とわめくピロシキの頭を再びはたき、
「悪いことは言わない。生徒会には関わるな」
 まっすぐにリックの瞳を見据えて言った。
 その凄みのあるヘイゼルの瞳に呑まれ、リックは呆然と首を縦に振ったのだった。

 だが事件はそのすぐあとに起こった。
 昼食を終え、リックが弁当箱をナプキンで包んでいるところを、突然ざわついた教室に思わず手を止める。
 何事か、とばかりに顔をそちらに向けると、先ほどバカにしていた赤いブレザーを着た男を筆頭に、数名の生徒が教室前のドアでこちらを見ている。
 気づいたピロシキがいち早くその代表、レッドバロンと呼ばれる男に声をかけた。
「おやおや、ドイツ語科の連中が英語科になんの用?」
「そちらに入った転校生に挨拶を、と思ってね」
 そこで言葉を切り、にこり、とリックに向かって噂のリヒトホーフェンは笑んだ。
 思わず赤面してしまうリックに、隣のピロシキがこそっと耳打ちする。
「気を付けろよ。うちの生徒会長は色仕掛けで生徒を懐柔するって有名なんだ」
 耳ざとくそれを聞いたリヒトホーフェンが、ひどいなぁ、と苦笑を浮かべ改めてリックに向き直る。
「はじめまして。大空学園生徒会の会長を務めるマンフレート・リヒトホーフェンです」
「お、おう」
 クラス中の視線が自分たちに注がれているのがわかる。ちらり、と辺りを見回すと廊下には既に人だかり。
 リックはあまりの緊張で頷くのがやっとだった。
 だがその直後、教室中に響きわたるような大声が2人の背後であがった。
「貴様、せっかく会長自ら教室に赴き名乗りを上げているというのにその態度はなんだ!すぐにも自分の名前を言うのが礼儀というものだろうが!」
 見ればリヒトホーフェンの背後に控えていた男が、怒りを露わにした形相でズカズカと前に進み出てくる。
 金髪碧眼の典型的なゲルマン系の容姿で、顔立ちも悪くはない。
 だが薄い唇や鋭い目つきが彼をひどく傲慢な皮肉屋に見せていた。しかも追い打ちをかけるように、彼は白いブレザーを着ている。つまり、彼が噂の生徒会長に陶酔しきっている副会長ということだ。
 そんなゲーリングの登場に、パードレとピロシキは顔を合わせてやれやれ、というように首を振った。
 だがリヒトホーフェンはさすが慣れたもので、スッと手を伸ばし彼を押しとどめると、
「ヘルマン、良いから下がっていなさい」
「ですが会長……!」
「私が下がれ、と言っている」
「…………はい。出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
 激昂していたゲーリングをいともたやすく黙らせた。そしてすぐさまリックのほうへ向き直り、ふわりと笑った。
「良かったら、君の名前を教えてくれないか」
「リ、リチャード・ハーレイ……だ」
「リチャード、ね。良い名前だ。よければ今度、我がドイツ科にもぜひ遊びに来てほしいな」
 スッと差し伸べられる手を、フラフラと誘われるように握りしめたリックだ。
 その背後ではパードレとピロシキが、やられたな、とばかりに溜息をついた。
 さすが大空学園生徒会長。一筋縄ではいかないようだ。
「さてと、ところでレイストン氏はどこに?」
姿が見えないようだが、と教室を見回すリヒトホーフェンに、背後に控えたゲーリングが忌々しげに吐き捨てた。
「あいつ、せっかく会長がいらしてるのに!」
 だがそんな彼の言葉に呆れたように、ピロシキが声をあげる。
「ロードなら屋上だろ?別にあんたらが来ようが来まいがあいつはいつもそこにいるよ」
「そうか、残念だな」
「なに?弱みでも握って帰りたかった?」
「貴様!会長を愚弄するのか!!」
「ヘルマン、あまり怒鳴るな。耳が痛い」
「も、申し訳ありません」
 女王様とその侍従のようなやりとりを交わしている2人に呆気にとられながらも、リックは目に入る赤いブレザーのまぶしさに目をすがめた。
 不思議なことに、遠目から見たときはあれほどバカらしかったブレザーも、こうして間近に見ると非常に彼に似合っていることがわかる。
 崇拝者がいるっていう話も頷けるな、と内心納得しながらジッとリヒトホーフェンを見つめていると、
「おい、そこのお前!誰の許可を得て会長を見つめてる!いやらしい目でこの方を汚すんじゃない!」
 白いブレザーがヒステリックな声と共にビシッと指さしてきた。
 まるで自分をばい菌のように言うゲーリングに、リックは内心腹を立てる。
 だがここで怒鳴っては自分も奴と大差ないことになってしまう。そのへんを熟知しているリックはヒクヒクと痙攣するこめかみを感じながら、なんとか口はしに皮肉げな笑みを浮かべると、
「お前ほどじゃねーよ」
 思わず横のピロシキがピューと口笛を吹いてしまったほど、冷静に言ってのけた。
 当然言われたゲーリングは顔が真っ赤になるほど怒り狂い、あまりの興奮に言葉が出ずにいる。
「おまっ……だ……の……ッ!」
「はいはい、そろそろクラスに帰ろうな」
 しかしそんな彼の肩を掴み、回れ右をしたリヒトホーフェンが苦笑した様子でゲーリングをなだめる。
 そしてふと肩越しに背後を振り返ると、
「レイストン氏によろしく伝えといてくれ。それと、騒がせて悪かったね」
 相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、教室をあとにしたのだった。
 途端わっとリックの周りにクラスメートが集まると、口々にリックを褒め称える。
「へい、カウボーイ。お前やるじゃんかよ」
 ぐしゃぐしゃっと嬉しそうにリックの髪をかき回すピロシキ。
「神がお前に味方したな」
 聖書片手に空に十字を切るパードレ。
 さがそんな彼らの大絶賛を受ける中、リックはぷるぷると身体を震わせたかと思うと、 次の瞬間には大絶叫がその唇から放たれた。
「だあぁぁぁぁーーーー!!むかつくッ、むかつくぅーーー!!!なんなんだよ、あいつは!!」
 顔を真っ赤にし、拳を握るリックはそれまでの我慢が限度を越えた様子でわめき続ける。
 その様子に、教室内は一気に笑いの渦にみまわれた。
「そうだよな、やっぱお前はそうでなきゃ」
 涙まで流して爆笑しているピロシキが、おかしくてたまらないというようにリックをバンバン叩いた。
「なんだよ、なにがおかしいんだよ!」
 1人わけがわからず、憮然とした面もちで更に怒鳴り続けるリック。
 クラスメートはこの元気な転校生を、この瞬間、心の底から受け入れた。

「だから、要するにゲーリングのバカはとことんあの会長様にいかれちゃってるわけよ」
 残り少なくなった昼休み。
 怒濤のように過ぎていった出来事の整理をしようと、パードレとピロシキに詳しいことを聞いていたリックは、聞けば聞くほど謎の深まる生徒会の存在に頭を悩ませていた。
「でも会長の奴は妙にロードにこだわってたじゃん。あれってなんでだよ」
「う〜ん、それを話すと長くなるんだけどね」
「別にかまわねーよ」
 話したがらない素振りの2人をせかすように、リックは答えを求めた。
 とにかく思い出してみる限り、リヒトホーフェンの態度はおかしかった。落ち着いているようで、その実教室を忙しなくチェックしていたし、ロードについては2回も尋ねている。
 あまりのリックのしつこさに、ついに2人も根を上げた。
「つまりな、あの通りロードは学園の内外を問わず喧嘩のプロだろ?今朝見たような光景だって珍しいもんじゃないし」
 ボソボソと顔を寄せ、秘密を打ち明ける態勢のピロシキにリックもふんふんと頷く。
「でもそれだけの前科があるくせに、あいつは一回も停学その他の罰を受けたことがねーんだな、これが」
「……なんでだよ」
 いぶかしげに眉をしかめたリックに今度はパードレが身を乗り出し、同じく声を潜めて言葉を続ける。
「ロードの父親は大空学園のPTA会長だ」
「PTA会長ぉ〜〜〜〜!?」
 2人が止める間もなくリックが叫んだ瞬間、運悪く教室後方のドアがガラッと開き渦中のロードが入ってきた。
 リックの叫びに、ぎろりと視線をこちらに向ける。
 やべぇ、とピロシキが小さく唸った。パードレも明後日の方向を向いてこの事態を回避しようとしている。
 だがしかし、リックはどう対応していいのか分からずロードに睨まれ不本意ながらも身体をすくませた。
「あ、あの…………」
「人の噂話をするなら本人のいないところでするんだな」
 なにか言わなくては、と口ごもらせたリックを一瞥するとそれだけを言いロードは乱暴に自席に座った。
 それを合図に、昼休み終了のチャイムが鳴る。
 気まずい雰囲気を感じながら、リックはそそくさと自席に戻った2人を恨めしく思い、遠慮深そうに隣のロードに話しかけた。
「あの、教科書……」
 だが全部を言い終わる前に、机の上に乱暴に教科書が放り投げられる。
 え、とばかりに戸惑った視線を向ける先には、相変わらず窓の外に目を向けたロード。
「俺はいいから、お前が使え」
「でも…お前どうするんだよ。次数学なのに、教科書ねーとわかんねーじゃん」
「内容は頭に入ってる」
 それだけを言うと、それ以降はリックがどれだけ話しかけてもロードは一言も言葉を返さなかった。
 そして最終的には顔をくしゃくしゃにさせたリックが、わかったよ!と怒鳴りあげることで終わりを見せる。
 そんな2人を、パードレとピロシキは遠くから心配げに見つめた。
 教室最後尾、窓際。
 どうやらそこは、当分の間デンジャーゾーンになりそうだった。

 リックが転校して早2週間。
 寮では担任がいらぬお節介を焼きロードと同室になってしまい、毎日ぎゃあぎゃあと怒鳴る日々が続いている。隣室のパードレとピロシキが、毎朝それを目覚まし代わりに起床しているとも知らず。
 とはいえ、それなりにロードとの親睦を深めつつあるリックは、予想に反して言ったことはきちんと守るロードのやり方には感心していた。
 また彼が意外にも生徒、特に下級生に人気があるという事実も寮生活をしていくことで自然と知るようになった。
 ほんの2週間。
 だがそのわずかな日々で、リックはロードという男を誤解していた自分に気づいた。
 ふてぶてしさは相変わらずだが、時々見せる優しさに驚かされ。
 ロードという男に興味を持ち始めている自分を、自覚していた。
 というわけで、皆の予想に反し、リックの周りはなんとも穏やかな日々が流れていた。
 しかしやはりそれは嵐の前の静けさでしかなかったのだった―――。
「リチャード・ハーレイはいるか」
 HR前。廊下からの呼び出しに、リックは心底驚いた。なんとそこにはかの過激親衛隊ゲーリングが立っていたからだ。自然リックの表情は憮然としたものになる。とはいえ、大人しく教室後方のドアへと近づくと、
「なんか用かよ」
「話がある。放課後、体育館裏に来い」
 どこまでも不遜な男である。おそらく彼にとってリヒトホーフェン以外の人間は単なる細胞の塊なのだろう。白いブレザーは今日もしみ一つない。
「話なら今ここで言えばいいだろ」
 リックのもっともな意見に、だがゲーリングは彼独特の皮肉げな笑みを浮かべて見せた。
 まるでヘビのような表情である。リックの背筋に思わず悪寒が走った。
「な…なんだよ」
「そんな強気を言っていられるのも今のうちだ」
「だからなにがって…」
「5時間目授業終了後、すぐに来い。もし遅れた場合は奴がどうなっても知らんぞ」
「……奴?奴って誰だよ」
 だがリックの問いには答えず、ゲーリングは再びにやりと笑むとそのまま教室へと帰っていった。残されたリックはなにがなにやらさっぱりわからない。
 だがこれを「ゲーリングの戯言」で済ますにはあまりにも危険だと、本能が忠告していた。
 奴の口振りからして、おそらく誰かが犠牲になっていることが考えられる。それも、自分に深く関係のある誰か。
 リックにしては珍しく頭が働いている瞬間である。
 きょろきょろと教室を見回し、誰がいないかを確かめた。
「ピロシキとパードレは……いるな」
 別段友達とも思っていないが、やはりここ2週間なにかと彼らと行動を共にしていた。
 狙われるとしたら彼らだと思っていたのだが。
 だがホッとしたのもつかの間、HR開始数分前だというのにあの男がいない。
 あの男―――自分が最も嫌う、天上天下唯我独尊のロードが。
「おい……ロード、どうしたんだよ」
 イヤな予感がする。
 近くにいたクラスメートを捕まえて問いただしてみたが、返ってきた答えはなんとも脳天気なもの。
「ロード?さぁ……あいつ低血圧だからな。どっかで寝てんじゃないの?」
「でも今まで奴が遅刻したところなんて見たことないぞ」
「そうだっけ?ま、そのうち来るだろ。心配すんなよ」
 そうこう言っているうちに担任が教室に入ってきた。リックも渋々自席に戻る。
 あいつに限って、と何度も自分に言い聞かせてみた。
 だがその後、昼休みになってもロードは現れなかった。
 いつもは視界の端に映る漆黒の髪、端正な横顔が見あたらない。
 たったそれだけの理由なのに。
 リックの不安は募る一方だった―――。

 放課後、チャイムが鳴ったと同時に教室を飛び出す。
 クラスメートが声をかけるのも無視してとにかく走った。
 目指すは体育館。
 だが学校指定のスリッパがペタペタと緊張感のない音を出すわ、曲がり角で曲がりきれずにすっ転ぶわで、体育館に行き着くまでにリックは多少の傷を負った。
 いかなる時もシリアスになりきれない男である。
 そしてようやく目の前に体育館が見えはじめたとき、背後からなんの前触れもなく首根っこを捕まれた。当然ぐいっと首が締まり、ぐえっとリックは蛙が潰れたような声を出した。
「な……ごほごほっ…なんだよ!」
 思わず身体を曲げ咳き込むリックの耳に届いたのは、なんとも緊張感のない声。
「なんでそう1人で突っ走るかな〜」
「命を粗末にするな」
 夕焼けを背中に背負った、青春ドラマ並みの登場をしてくれたのは見知った2人のクラスメート。
 相変わらずのヘラヘラ顔と、仏頂面。
「なんでお前らがここにいるんだよ……っていうか、つけたな!」
「へい、カウボーイ。そうあまり目くじらたてるなよ。教室からダッシュで出るお前が見えたからちょっとついてきただけだろ?」
「嘘つけ!お前らのことだから、ゲーリングのバカが来たときに聞き耳でもたててたんだろーが!」
「信用がないな……あれは自然と耳に入ってきたんだ。全ては神の思し召しだな」
「だぁぁぁ〜〜〜〜ッ!」
 口から生まれてきたような2人に、リックはこれ以上抗議の言葉がでない。いや、しても無駄だということがこの2週間でわかったからかもしれない。
 なにはともあれ、この2人が興味を持ったのならこの場を回避させることははっきり言って無理である。なにがなんでもついてくるだろう。
 リックは力一杯肩を落とした。
「ったく……なんでお前らっていつもそうなんだよ」
 しかし事態は急を要した。
 さすがのリックも今回ばかりは漫才をする暇もなく、2人に手早くここまでのいきさつを説明する。
「なるほどね」
 にやり、とピロシキが口端をあげた。隣のパードレも片眉を上げてみせる。
「そりゃ、なにがなんでも助けないとね。なんたってロードは我がクラスの大事な総務さんだし」
「たしかに、うちのクラスには今あれ以上に総務適任者はいないからな」
 2人で顔を見合わせ、頷く。リックは当然この後に続く言葉を予想してげんなりと溜息をついた。自分の嫌な予感というのが常々当たってしまうのを、彼なりに気づいていたのだ。
 そしてリックの予想に違えることなく、2人は声を揃えて言った。
「ロードのためだもんな」
 大義名分は、完璧だった―――。

「貴様、誰が仲間を連れてきていいと言った!」
 2人を連れ、約束通り体育館裏へと行ったリックだったが、待ち伏せしていたゲーリングはそんな彼らを見てなんの前触れもなく突如怒り狂った。
 血の気が多いようだ。今度にぼしを差し入れしてやろう、とパードレが内心思ったかどうかは定かではない。
 しかし副会長ゲーリング、からかってみると意外と楽しい人材である。
「……1人で来いなんて一言も言わなかっただろ」
 こいつがまともに喋ってるところって見たことないな、と思いながらリックは正面のゲーリングをまっすぐに見据えた。
 そもそもこんなのが副会長をやっている時点で時代は世紀末である。
「だいたいお前だって仲間連れてるじゃねーかよ」
 リックの言葉にゲーリングの顔のサッと朱色が走る。顔が白いとこんなとき不便である。
 とはいえ、たしかにゲーリングの背後には数人の、明らかに生徒会役員とわかる者達が連なっていた。彼らに共通することは、どれもリヒトホーフェン信仰者だということ。
 そんな光景に、パードレとピロシキが微かに目配せしあう。
 だがさすがはゲーリング。
 いついかなるときも、会長のためを思ってする行動は手段はどうあれ、正しいと思い込んでいる。その考えがあるからこそ、今のように強気な彼が存在するのかもしれないが。
 とにかく一度暴走したら止まらないタイプだった。
「俺はいいんだ!だいたいお前、転校してまだ間もないのに会長に声を掛けてもらえるなんて生意気だ!俺なんか副会長にならなかったら今だって1クラスメートでしかなかったんだぞッ!」
「………………はい?」
 あまりの幼稚な言葉に毒気を抜かれたリックだが、そんな彼の表情をどうとったのか。ゲーリングはふん、と鼻を鳴らし顎をやや上向きにした。つまりはお得意の見下しポーズである。
「お前をここに呼んだのはほかでもない。おい、奴を出せ!」
 背後に控えた役員を顎で指図する。
 言われたほうはなんの疑問も持たずに体育倉庫へと走り、そこから1人の青年を引きずり出してきた。その姿を見て思わずリックは息を呑んだ。
「ロードッ!」
 名前を呼ぶが、それに反応する毒舌も、きつい眼差しも返ってこない。
 ピロシキがチッと舌打ちするのがわかった。
 ぐったりとした身体は見えるところ全てに痣がつけられ、あれだけ皺一つなかった制服が泥に汚れてドロドロになっている。漆黒の瞳は瞼の奥に潜められ、髪は土埃にまみれて普段の彼からは想像もつかない汚れようだ。
 そしてなにより、ロードの顔が……いつもは憎らしいくらい無表情の彼の顔が、明らかに殴られたとわかる痣で数ヶ所傷つけられていた。
 いつもの彼なら、こんな奴ら相手に負けるはずがない。考えられることは……
「卑怯だぞ!不意打ちなんてきたねーことすんなよ!!」
「根拠のないことを言われても困るんだがな」
「ふざけんな!喧嘩には喧嘩のルールってもんがあるだろうがッ!!」
 そんなリックの反応に満足したのか、ゲーリングはことさら嬉しそうに言葉を続けた。
「そのルールを守ってないのは、今そこで無様に倒れてる奴じゃないのか?」
「なんだと……ッ!」
 あまりの怒りで言葉が続けられない。
 ロードをかばうのなんて嫌だった。奴のことでこんなに熱くなってる自分も納得できない。だがそれ以上に、ゲーリングのやり方が気に入らなかった。
 両脇に握った拳がブルブルと震えるのがわかる。
 隣にいたパードレがそっとそれを包んだ。そうでもしなければ、リックは間違いなくゲーリングの横っ面を渾身の力で殴っていただろう。
 だが命拾いしたとも知らず、ゲーリングはまるで勝利演説をするかのように勝ち誇った顔で3人を見下ろした。
「PTA会長の子息というだけで、奴はこれまで数々の問題を起こしてきたにも関わらず全て無罪になっている。それは許されるべき事か?いいや、許されるはずがない。なにより、そんなことを認めたと生徒に思われては我らが会長の名に泥がつく。そうは思わないか?」
 伺いをたてているにも関わらず、他人の意見を聞こうという態度がまったく見られない。
 パードレがリックにそっと耳打ちをした。
「下手な新興宗教に染まると、皆ああなるんだ」
 その言葉にリックは心底同意した。
 今のゲーリングは傍目から見ても異常だった。だがゲーリングの言葉は更に続く。
「よって、俺達が会長に代わって彼を成敗した。これは正しい行いなんだ。神も我々の行為をきっと認めてくれるだろう」
 最後の言葉にパードレがわずかに眉根を寄せた。そんな彼を横に並んだピロシキが軽く肩を叩くことで慰める。
 とはいえ、いい加減ゲーリングの戯言につきあうことに嫌気の差したリックがついに口火を切る。
「さっきからウダウダウダウダ、うるせーんだよ」
 ぴたり、とゲーリングの唇が閉じた。それまで恍惚としていた表情が一気に険しいものへとなる。切れ長の瞳がリックを睨んだ。
 それを真っ向から受け、だがなおもリックは静かに言葉を続ける。その端々に揶揄を含ませて。
「だいたいテメーらにそんなこと頼むなんて、レッドバロンも狡賢いよな。たとえお前達が捕まっても、自分は事件に関与してねーから知らぬ存ぜぬで通して潔白街道まっしぐらだ」
「今回のことは我々の独断で行った!会長は関係ない!!」
「へぇ、じゃあお前らの会長は部下の暴走も止められない無能野郎ってか?」
「なんだと……貴様、会長を愚弄するのかッ!!」
 せせら笑うリックに、ゲーリングが怒りで身体を震わせる。
 それを認めたパードレとピロシキが、リックの背後で密かに戦闘態勢を整えた。緊張感が漂う。誰もが喉に渇きを覚えた。
 リックが大きく深呼吸をする。
 カッと見開いた目が、まっすぐにゲーリングを射抜いた。
「ああ、そうだよ!自分は何一つ動かねーで、部下にきたねーことやらせるトップなんてサイテーだって言ってんだッ!!」
「貴様……ッ!!」
 言うが否や、ゲーリングがリックに向かって殴りかかってきた。
 はじめから顔面を狙った、正確な突き。だがそれを顔面で腕をクロスすることで回避したリックがすぐさま右足を蹴り出した。
「がっ…………」
 見事に腹に決まったそれが、ゲーリングの身体を少なからずひるませる。
「副会長!」
 控えていた役員達が驚きながらも参戦する。
 それに対応しようと思ったリックだが、思った以上に回復の早いゲーリングが役員に気を取られているリックにすぐさま足払いを仕掛けてきた。不意をつかれどうっと地面に倒れる。買ったばかりの制服が、無惨にも土で汚れてしまった。だがそんなことを気にしている場合ではない。
 迫ってくる役員達。数は8人。
 間に合わない!そう思ったリックが瞬間防御のために身体を丸めた。だが―――、
「あ……ぐ…………ッ」
「うがっ……つ…」
 耳に届いた苦痛を訴えるくぐもった声。
 目を向けた先には、軽快なフットワークで相手を確実に倒していくパードレと、相変わらず不安定なクロスカウンターで勝負をするピロシキの姿があった。
「ほーらな、やっぱり俺達ついてきてよかっただろ」
「こっちは任せろ。お前はゲーリングに集中すればいい」
 2人は口々にリックに向かって檄を飛ばす。
 ホッとしたのもつかの間、真上から迫り来る靴底にリックは素早く顔を右に背けた。バンッとすぐ横でゲーリングの右足が左耳のすぐそばに落ちた。
「よそ見をしてる暇があるとは、余裕だな」
 にやり、と薄い唇をつり上げ皮肉げに笑うゲーリングが自分を見下ろす。
 リックはすかさず右手に掴んだ砂を、その顔めがけて投げた。
「うっ……くそ……ッ!」
 目に入った砂に戸惑う奴の隙をついてすぐさま立ち上がり、背後へと回り込む。両手を組み、背中めがけて頭上から一気に振り下ろした。
「がっ…………!!」
 あまりの衝撃にさすがのゲーリングも地面に突っ伏した。その顔に余裕の色がなくなる。
「降参しろよ。謝れば、許す」
 ルールだからな、と皮肉を込めてそんなゲーリングを見下ろしたリックだが、
「ロードだ!ロードを押さえろ!奴さえ手に入れればこっちのものだ!!」
 地面に突っ伏したまま、背後でパードレ達と乱闘を繰り広げる役員に声の限り命じた。
「てめー!!」
 リックが倒れたゲーリングを無理矢理起こし、その首を力一杯絞めた。呼吸困難で顔を歪めるゲーリング。だがそれだけはリックの怒りは収まらない。
 どこまでも汚い奴。リックの怒りが頂点を極めるようとしたそのとき、
「……ざ、けんなよ…………」
 掠れた、ひどくガラガラした声が聞こえた。発信源を認めた役員が一様に顔を青ざめる。
「ひっ……!」
「よくも人の身体、好き勝手殴ってくれたな……」
 のっそりと立ち上がる肢体。動かす度に感じる痛みに顔をしかめる。
 その姿を遠目に認め、リックは思わず腕の力がゆるんだ。これ幸いと腕を払いのけたゲーリングが必死に酸素を求めてむせるのも目に入らない。
 その目は、ただ1人の青年にだけに向けられていた―――。
「ロー………」
「ぶっ殺す!!」
 言うが否や、駆け出すロード。まるで獣のような俊足に、リックは乱闘中にも関わらずついつい見入ってしまう。しなやかな筋肉と、のびのあるバネがはっきりと感じられる動き。
 それらすべてが、ロードの強さの秘密なのだと改めて思い知る。
 そして彼のようになりたいと願う自分に、リックは気づいたのだった―――。

「い、いてっ!ピロシキ、お前もっと優しくしろよな!」
「な〜に言ってんの。9人相手にして痣と捻挫だけで済んだ奴が消毒くらいでガタガタ言うんじゃないの」
 放課後の保健室。
 保健医が帰ってしまったため仕方なく自分たちで治療をする3人だが。
 容赦なく消毒液に浸った脱脂綿を傷に押し当てるピロシキに、リックは思わず顔をしかめて抗議した。傍らでそれを見ていたパードレは、やれやれ、といった風に肩をすくめる。
「そんなこと言ったって、奴らが倒れる寸前まで殴ったのはロードだし。俺は単に奴の後始末をだなぁ……!」
「しっ……あまり大声を出すな。奴が起きる」
 ついつい抗議の声が大きくなったリックに、パードレが唇の前に人差し指を立てて黙らせた。同時にクイッと奥のベッドを指さす。
「あ、ごめん」
 しまった、とばかりに肩をすくめるリックは、やや背筋を伸ばし奥のベッドをのぞき込んだ。その様子を、ピロシキがにやにやしながら見守る。
「あいつ、大丈夫か?あ…いや、俺が心配することじゃねーけどさ……」
 素直になれないリックを見透かし、パードレが微かに笑った。
「たぶん今夜は殴られた傷からの発熱があるだろうが、ロードなら大丈夫だろう。慣れもあるだろうしな」
「そっか……」
 ホッと安堵の顔を見せるリックに、2人は更に笑みを濃くする。しかし当の本人は幸か不幸か、まったく気づかない。
「でさ、あいつらどうなった?ゲーリングと、生徒会役員の連中」
「ま、そのへんはバロンの会長がなんとかしてくれるんじゃないの?崇拝する会長にあの現場見られてるから、ゲーリング達も当分は大人しくしてるだろうし」
 そう、あの後すべての乱闘が終わったとき、事態の根源とも言える生徒会長マンフレート・リヒトホーフェンが現れたのだった。独断でやったと言うだけあって、あのときのゲーリングの顔などはしばらく夢に出てきそうである。
「ま、これでしばらくは学園も平和ってことだ」
「平和が一番だな」
 うんうんと満足げに頷いた2人が、ふと時計を見て腰を上げる。
「じゃ、俺達もそろそろ帰りますか?」
「そうだな」
「え……どういうことだよ?」
 思わぬ事態にリックは戸惑った。こんなところで2人っきりになどしないでほしい。
 だがそんなリックに、ピロシキはチッチッチッと舌を鳴らし、
「だから言ったでしょ?今日のロードは熱が出るって。だからお前が看病しないでどうするの?」
「な、なんで俺が…ッ!」
「同室のよしみだ。奴もお前の顔を見たら安心するだろう」
 言うだけ言うと、じゃあな、と2人はそそくさと保健室を去っていった。
 しー…んとした室内で、残されたリックは居心地の悪さに座ったままもぞもぞと腰を揺らす。すると、
「……ん………」
 奥のベッドから声があがった。
「起きたのか?」
 そそくさと部屋奥に設置されたベッドに近づき、覚醒したロードとご対面。
 上半身を起こし、ここがどこかを確かめているのが伺える。
 殴られた痕は痛々しいが、その倍の傷を相手に負わせたのだから良しとするべきか。なんにせよ、いつもの強気な闇色の瞳が自分を見据えることに満足を感じた。
 カーテンから現れたリックを認め、ロードは声音も低く問う。
「…………何時だ?」
「えっと……19時ちょっと過ぎ。起きてて大丈夫かよ?」
 ふー…と息を吐き、乱れた前髪をけだるそうにかきあげるロードが天井を見上げる。
「あいつら、どうなった」
「大丈夫だろうってピロシキ達は言ってたけど。レッドバロンがなんとかするだろうって」
「そうだな……奴ならなんとかするだろ……っつ」
 痛みに顔をしかめたロードに、リックは慌ててその身体を横たえらせる。
「ほら、無理すんなって。お前あばら折ってんだからさ」
 らしくなく、看病にいそしむリックである。ピロシキが見たら思わず吹きだしていただろう。だがそんなリックから目をそらし、ロードがぼそっと呟いた。
「笑わないのか」
「なにを?」
 即答したリックに逆にロードのほうが顔をしかめたが、構わず言葉を続けた。
「あれだけお前に強気な発言してて、なのにこのざまだ」
 格好悪いって笑うだろ、そう言外で言っている。
 目をそらしたロード。横顔は、いつも教室で見慣れているソレだった。
 フッと顔に笑みが浮かぶ。ほころんだ唇から、自然と言葉が出てくる。
「俺、お前が喧嘩するところはじめて見た」
 転校初日に運良く見かけたのは喧嘩が終わったシーン。あれ以来、ロードに喧嘩を売る奴は現れなかった。だから、リックにとってはたしかにこれがはじめて見るロードの喧嘩だった。
「でさ、お前ってやっぱすげーって思った。悔しいけど、俺なんかよりずっと喧嘩慣れしてるし、やり方も完璧だったもんな。ああ、これじゃあ敵わねーよなーって嫌でも思い知らされた」
 性格は最悪だけどな、と言ってからにやりと笑むリックに、ロードはなにも言えないでいる。それを知ってか知らずか、リックはぐいっとそっぽを向いたロードの顔を強引に自分に向けた。
 目の前に迫った漆黒の瞳を睨み付け、しっかりとした口調で宣言する。
「でもお前に負けたなんてこれっぽっちも思ってねーからな!お前なんかすぐ負かしてやるんだから、せいぜいそれまで首の根洗って待ってろよ!!」
 どうだ、とばかりにまくしたてたリック。多少、言葉に矛盾がある。
 だがそれを間近で見届けたロードの顔に、ふっと笑みが浮かんだ。
 堅かった表情が、微かに和らぐ。
 だがそれもつかの間。すぐさま顔を改め、にやり、といつもの笑みを浮かべると、
「望むところだ」
 新たな戦友の宣戦布告を、見事なまでの不敵さで受け取ったのだった。

 一方そんな2人のやりとりを、寮に帰ると見せかけて廊下でずっと聞き耳を立てていた者達がいた。
「俺の勝ちだ。2人の間には愛が芽生えた」
「ちょっとちょっと、違うでしょ?あれは単に喧嘩仲間としての友情だってば」
「いいからとっとと食券を渡せ」
「な〜んでそうやっていつもマイペースなのかね〜」
 暗闇の中、密かに取り交わした賭けの結果にああだこうだと意見を言い合うパードレとピロシキ。 
 その後気配に気づいたロードに見つかるとも知らず、リチャーズ賭け第二弾について熱く討議を交わすのだった。
 やがて時計塔が夕食の時を知らせるべく鐘を打つ。
 私立大空学園は、今日も平和である。


殺人的に長いね……(^-^;
なんたって枚数は一太郎にして21枚だもん(爆)<1ページ40行設定
ここまで読んでくれた方には本当に感謝したいよ。
しかもこれ、実のところ99年の夏の大阪で某氏と出した合同本で、オフ会参加者に配った代物で……読んでる人には面白くもなんともない感謝記念だな。
そんな人達には今後の更新に期待してもらいましょう。
つーか、そもそもこれを事前に読んでた人って10人いないし(笑)
割合から行くと初めて読む人の方が多いので良しとしよう……無理矢理にでも(笑)
というわけで、やっと本稼働に入るB型症候群ですが。
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

 

 

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