ホワイトレジデンツの静かな廊下を滑るような足取りで歩く。
角を曲がり、その先の礼拝堂を目指そうとしたところで、前方からゆっくりと歩いてくる人物を認め足を止めた。
鍛えられた長身の体躯に、それを覆う深紅の聖衣。
限られた者にのみ許された色を纏う、炎の大主教と呼ばれるサンティスその人だった。
「よ、久し振り」
軽く手を挙げ、人好きのする笑顔を浮かべた男に、エイセルはいつもの無表情で黙礼を返す。
そのまま通り過ぎようとしたところを、そうはさせじと引き留められた。
「なにその態度。人がせっかく領地から出てきてやったって言うのに」
「来てくれと言った覚えはない」
「相変わらず冷たいねぇ。そんなんだから、みんなに怖がられるんだろ。あ、もしかしなくてもシャンティだってお前が冷たいから嫌気が差して出て行っちゃったんでないの?だから俺がいつも言ってるだろ、女の子にはちょっとした笑顔とちょっとした優しさが肝心だって」
放っておくといつまでも喋り続けそうな男をうろんな眼差しで見つめ、エイセルはそっとため息をついた。
「それで、なんの用があって来たんだ」
仕方なく、といった口調だったにも関わらず、理由を聞かれて嬉しそうに笑顔を浮かべるサンティスとの付き合いは長い。
十年戦争を経て、正確な年数こそわからないが、とにかくお互いのことをよく知り得るだけの時間は経っていた。
「恒例のシーヴのメンテナンス。なんか今回は長引きそうなんだよなぁ」
まぁこれでしばらくあの嫉妬から解放されるけど、と嬉しそうに話す男をエイセルは目をすがめて見つめる。
口ではなんと言おうと、彼が自分の聖女を心から愛してることは疑うまでもない。
六大主教の中でも炎と称される彼らの絆は、他の大主教とは違ったあからさまな繋がりを周囲の人間に見せつけることがある。
その彼女のメンテナンスに、わざわざ大主教のサンティスが同伴したことにはなんらおかしな点はないが。
「……この手はなんだ」
いつの間にか腰に回された手に、エイセルは眉間に深くしわを刻んだ。
大きな手のひら。一瞬、力のこもったそれを見下ろし、続いて本人を見上げた。
「聖女の代わりが欲しいなら他を当たれ」
「ご冗談を。お前の代わりなんて誰にもできねぇよ」
絡み付く腕を外そうと、手を掛けたところを逆に押さえつけられそのまま抱きしめられる。
慣れた手口。他の誰かにもしているのだろう。そう思うと不思議と冷静になれる自分がいる。
あらがう素振りも見せず、ふぅ、と物言いたげなため息を吐いてみせた。
「誰かに見られたらどうする」
「別に。その時はその時だろ」
少しも臆さない様子にほんの少し苛立ちを覚える。
いつからだろう。こんな風に、彼のやることにいちいち腹を立てるようになったのは。
関係は、ほんの些細なきっかけで始まった。
十年戦争と呼ばれた大戦の最中。
いつ終わるともわからない戦いに、心身共に疲弊しきっていたのはお互いだった。やまない砲撃、運び込まれる負傷者、そして仲間の死。
『よぅ、まだ生きてたのか』
そんな挨拶すら日常茶飯事で。
だからあの夜、眠れないんだと言って部屋を訪ねてきた彼と自然唇を重ねたのは、寝酒に飲んだ粗悪品のブランデーが原因なのだと言い聞かせながら。
性欲のはけ口としてではなく、ただ自分の存在を確かめたくてどちらともなく抱き合った――少なくともあの場所では。
「いつまでこんなことを続ける気だ」
予想外だったのは、サンティスが大戦を終えても未だに関係を求めてくることだった。
妖艶な聖女、シーヴを与えられてホッとしたのも束の間。
何かと理由を付けて聖山を訪れては、偶然を装って目の前に現れ暗闇へと手を引くサンティス。
総主教のお膝元で、大主教にまで上り詰めた男との情事。それはひどく背徳感を伴うもので、いつだって聖衣の袖口を噛みしめては堪えきれない絶頂を覚え、そんな自分を同時に激しく悔いた。
それはあってはならないことで、何度となくあらがえど、その度に達者な彼の話術に言いくるめられる。
嫌だと言えばなぜだと言われ。
こんな関係は無意味だと言えば、俺はそうは思わないと言い返される。
そしてそのあとは何も考えられないよう激しく抱かれ、その繰り返しにいつの間にか諦めを覚えるようになった自分。
「タリサのメンテナンスが終わるまでか?それとも…」
「なにムキになってんだよ」
お前はお前、シーヴはシーヴだろ、と喉奥で笑うサンティスがチュッとこめかみにキスをする。
その唇はおそらく先ほどまでシーヴと重ねられていたはずで。
「調子の良いことだ」
自分でも驚くほど冷えた声が出た。
彼らの睦まじさを伝え聞き、また時に目の前で見せつけられ。
その度に、では自分との関係は何なのだと問い詰めたい思いをグッと堪える。
こんなことはらしくない。そんな感情など、自分にあって良いはずがないのに。
嫉妬としか言い様のない胸の痛みに、いつしか自分自身捕らわれ戸惑うようになってしまった。
だがそんな気配を微塵も感じ取ろうとしない男は、凍える声音にも負けずにやりと微笑み、そっと耳元に唇を寄せてきた。
「そんな俺が好きなんだろう?」
「馬鹿らしい」
唇に含まれそうになる耳朶をすんでのところでかわし、腰に巻き付いた腕から逃れる。スルリと抜けた腕には力が入っておらず、ホッとすると同時にどこか寂しさを感じるのも確かで、だがそんな感情が自分の内にあることに焦らずにはいられなかった。
「冗談もいい加減にしろ」
「冗談って?」
「なぜ私にかまう。単なる性欲のはけ口なら、他にいくらでもいるだろう」
「お前じゃないと嫌なんだよ」
「だから冗談は…!」
飄々とした答えに、カッとなって言いかけたところで、不意に腕を捕まれた。
間近に迫るサンティスの顔。それは滅多に見ないほど真剣みを帯びていて――。
「冗談じゃなかったら良いのか」
「…な、に……」
低い声音に知らず声が掠れた。食い入るように見つめられ、何も言い返せない。
でも、と言葉が続く。
「それじゃお前が困るんだろ」
困ったように笑う男の腕から力が抜け、捕まれていた腕がズルリと降りる。
言葉が続かなかった。こわばった顔をしているのが自分でもわかる。
彼はなんと言った。冗談にしなければいけないと、わかっていてやっているのか。では自分のこの醜い感情も知っているのだろうか。知っていて、なお、関係を続けようと言うのか。
まとまらない思考に顔を俯かせた。とてもじゃないが、サンティスの顔をまともに見ることができない。
不意に頭上から、あーあ、といつものように気の抜けた声がした。
「シーヴもいないことだし、しばらくは領地で大人しくするかなぁ」
響いた靴の音は彼がここを離れようとしている合図で、思わず顔を上げた。
「サンティス…」
「忘れろよ」
こちらを振り向こうともせず、深紅の背中がそれだけを言って廊下の角を曲がる。ほんの少し、自嘲気味の気配をにじませて。
何も掛ける言葉がなかった。いや、掛けるべきではなかった。
その場を取り繕うだけの言葉では彼に届かない。だから――。
「忘れられる、はずがない…」
言えなかった言葉を呟く。
誰も聞いていない廊下で、一人、しばらく立ちすくんだまま。
何度も、そう呟いた。
◆comment◆
エイセルが別人のように感情的です…。
サンティスをへたれ攻めにしても良かったんですが、なんとなくシリアス風味が書きたかったので。
でもこの2人にヴァル様を交えた三角関係が自分の中でピカイチな妄想ネタだったりします(*´艸`*)
ヴァル様との関係を続けながら、でもサンティスへの想いも次第に芽生え、それを知ってるからこそエイセルを求める激しくサンティス!これぞディートン黄金律!!
もしくは薄々2人の関係に気づき始めたシーヴがエイセルを問い詰めて…な妻vs不倫相手な展開も書いてみたかったり。
ディートニア、誰も彼もキャラが立ってるから本当に色々妄想が止まりません。
リハビリ小説、書いてる本人もですが、読んでる皆さんにも楽しんでもらえると幸いです。