『卒業〜天バカバージョン〜』 Written by Takumi


 空を、見上げる。
 そこは雲一つない青空で、俺はしばし言葉を失い、その鮮やかな青色に見入った。
 やがて声に出して想いを確かめる。自分の考えが間違っていないかを、確かめる。
「天使がいる、か……」
 この先の、遙か高い天上にソレがいると思うようになったのはいつからだろう。
 幼い頃、母に教えてもらった言葉。
 ――天使は空のずっと高いところにいるから、なかなか降りてこれないのよ――
 子供をおとなしくさせるための方便だったのかも知れない。
 だが、そうなのだと根拠もなく信じ続けている。
 今も、そして永久に―――。


 基地のバーのざわめきに交じったせりふに、俺は一瞬耳を疑う。
「今、なんて言った?」
 動揺を悟られないよう、低い声音で目の前の男を睨んで問うが、握ったコップの水面が揺れるのは止めようがなかった。
「何度も言わすなって。だからその……俺、今度結婚…するんだよ…」
 目の前で、照れたようにウォッカをあおるのは同僚のピロシキ。
 いつも以上のハイペースな飲みっぷりになにかあるとは思っていたが、まさかこんな爆弾発言を控えていたとは。
「相手は、誰だ」
 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くくらいに掠れてて。
 いつもなら自分のそんな些細な変化にも気づいてくれるピロシキが、今は頬を赤らめ意中の女性を想って上の空なのに、無性に腹がたった。
「俺が知ってる女性か?」
 コップの水をあおり、あえて「女性」という部分を強めた質問をする。
 そんな俺の皮肉に気づくことなく、ピロシキは恥ずかしげに頭をかくと、
「いや、本国の幼なじみなんだ。前々からそういう話は出てたんだけど、こんなご時世だろ?落ち着くまで待とうってことになってたんだけどな」
「ふ……ん」
 そのまま待ち続けていればいいものを、と意地悪な考えが頭をよぎる。
 だが目の前で嬉しそうに語るピロシキを見ると、そんなことを考える自分が後ろめたくて、たまらなかった。
「そうは言ってもなかなか戦争は終わらねーからさ。戦争が終わる前にどっちかが死んじまったら洒落にならねーっつーことで急きょ、な?」
 ウォッカの入ったグラスを揺らしながら、上目遣いで同意を求めるピロシキ。
 微かに目元が赤いのは、酒のせいか、それとも………。
「祝ってくれるだろ?」
 そしてこの男は、残酷なまでの笑みで俺に言わせようとしている。
 ―――祝福を、祝いの言葉を。
 だが俺は言わなくてはいけない。
 胸の想いを悟られては、いけない。
 握ったコップがみしっと音をたてるのを感じながら、彼の目を真っ向から見据える。
「当たり前だ」
 俺はうまく笑えていただろうか―――。

「なんで?なんでそこでなにも言わねーんだよ!?」
 自室のベッドに寝ころんでたところを、そんな言葉で起こされた。
 チラッと目だけをドアに向けると、そこには拳を堅く握ったリックが泣きそうな顔で立っていた。
「なにが?」
 彼がなにを言いたいのかわかってて、あえて素っ気ない答えをする。
 今更、他人に言われてどうこうなる問題じゃない。
 だがそんな俺の態度が気にくわなかったのか、バタンッとドアを閉めると奴はずんずんとベッドに近づいてきて、
「ピロシキが結婚するって、聞いた」
 ドサッと俺の横に座る。
 溜息がでそうになるのをこらえて、壁側に寝返りを打つ。
「らしいな」
「らしいなって……パードレはそれでいいのかよ!?お前だってあいつのこと、ずっと………」
「言うな!」
 リックの言葉を遮るように、壁に向かって低くうなる。
 ビクッと彼が身体を震わせたのが、背中で感じられた。すまない、と思うが、今の俺にはそれをフォローする余裕すらない。
「じゃあ…お前このまま指くわえてあいつが誰かのものになるの、見てる気かよ……」
 やがてぽつりと言われた言葉に、なぜか胸が痛んだ。
 なぜこの少年は自分が思っていることをこうも的確に言い当ててしまうのだろう。
「他にどうしろって言うんだ」
「俺、なんでもするよ。お前に協力する。だから……」
「協力、か」
 だからつい意地悪な考えが思い浮かんで、止まらなくなる。
 綺麗なこいつを、汚してしまいたくなる。
 クッと口端を醜くゆがめ、俺は壁に向かって低く呟く。
「お優しいリチャード・ハーレイが慰めてくれるのか?」
 背後のリックの腕を掴み、え、と声をあげる彼をそのままベッドに押し倒す。
「ちょ…なに考えてんだよ……ッ!」
「俺ができるのはこれだけだ………誰かの人肌でこの欲情を慰めるだけ……」
 協力してくれるんだろ、とその耳元でささやき、耳朶を甘噛みする。
「やめっ……やめろって!」
「ロードに操をたててるわけじゃないだろ?それとも、お前の言う協力はそんなものか?」
 とたん、それまで抵抗していたリックが全身の力を抜く。
 組み伏せた彼の目が、哀れみを含んだ目で俺を見据えた。
「それでお前の気が済むなら……好きなようにすればいい」
 その言葉に、俺は一気に毒気を抜かれる。自分の行いに、吐き気すら覚えた。
「悪かった」
 リックの上からのきながら、口元を手でおおい、げんなりと呟く。
 自分は今、なにをしようとしていたのか。
 考えただけで、嫌悪感で気が狂いそうになった。
「なぁ、諦めんなよ」
 やがて肩越しにリックの体温を感じて、振り返る。その顔を見て、苦笑せざるをえない。
「なんでお前がそんな顔するんだ」
 くしゃくしゃっと髪をかき回してやる。
 今にも泣き出しそうな顔をしたリック。
「だって……お前がどれだけピロシキのこと好きか…俺知ってるから……」
 あんな事をした俺に、それでも少しも態度を変えないで親身になってくれるリックが、ピロシキとは違った意味で愛しく感じた。
「迷惑、かけたな」
 だからその頭を抱えて、胸に抱きしめる。
 抵抗しないでくれるのが、ありがたかった。
「迷惑なんて思ってねーよ。俺もロードも、お前には世話になってるから、恩返し」
 腕の中で、クスクスと笑うリックをもう一度ギュッと抱きしめる。そのとき、
「パードレ、こっちにリックが………」
 ノックの音がしてすぐに、ロードが顔を覗かせた。その顔がすぐ、不機嫌なものになる。
 聞かなくても俺たちの状況に誤解をしていることは一目瞭然だった。
「あっ………」
 リックがぐいっと俺の腕の中から抜け出る。
 俺にそれを引き止める理由はないからすんなりと放してやったが、ロードは相変わらずの仏頂面。
 そんなロードを慰めるように、リックが彼に近づき、腕を絡める。
「違うって。今のはただパードレを慰めてただけで、他はなにもしてないから」
 だがそんなリックを冷たく一瞥すると、
「別に。お前が誰とくっつこうと俺には関係ないだろ」
 心にもないことを言ってリックを悲しませる。
 端から見てるとロードの気持ちも手に取るようにわかるのだが、当のリックにはそれがわからずかなりの痛手を受けた様子だ。
「お前が心配してるようなことはしてないから安心しろ」
 ひとまず原因は自分だと思い、せめてもの助け船を出したが、それが意外と逆効果だった。
「心配なんかしてない」
 むすっと更に顔を不機嫌に彩らせ、ロードはどかっと手近のイスに座る。
 帰らないところを見るとなにか言いたいことがあるのだろう。大体予想はつくが。
「で、お前はどうしたい?」
 前置きもなにもない、単刀直入な質問。
 ロードらしいそれに、俺は思わず笑いがこみ上げる。
 その拍子に、それまで張りつめていたなにかが断ち切られた感覚にふっと身体が楽になった。
 にやり、と口端を曲げロードを見据えて伝える言葉は、しっかりしたもの。
 迷いのない、ソレだった。
「あいつを心から祝福するだけだ」
「そうか」
「ああ、心配かけたな」
「別に」
「お前の相棒にも迷惑かけた」
「アレは好きでしてるんだ。勝手に心配させとけ」
 素っ気ない答え。だがリックを「アレ」と呼ぶところに密かな愛情が感じられ、俺はわずかに顔をゆるませた。
「話はそれだけだ」
 来たばかりだというのに、ロードはさっさと椅子から立ち上がる。そして傍らで寂しげに立ちつくすリックの頭を小突くと、
「帰るぞ」
 それだけを言って、ドアへと向かう。
 だがそんな小さな事で、俯きがちだった顔が薔薇色に染まり、リックは嬉しそうにロードの背中を追いかける。
 わかりやすいその反応に、思わず苦笑が漏れた。
「俺もあれくらい素直になれたらな」
 やがて誰もいなくなった部屋で、そう、呟いた―――。

「飲みすぎだぞ、ピロシキ」
 爆弾発言から数週間後、ついに結婚式を明日に控えた前夜。
 独身生活最後の記念すべき夜、という名目でピロシキの自室でささやかな酒盛りが行われた。
 だが深夜を回り始めた頃から、一人、また一人と帰っていき、今部屋に残っているのは自分とピロシキだけ。
 既に周りには空ビンが数十本転がり、容赦なく床を占領している。
 いったい今夜はどこで寝るつもりだ、と心配していたところで新郎ピロシキの酒量が気になって忠告をしたのだが。
「ぐぅ〜…………」
 奴はとっくに泥酔していたらしく、酒瓶を抱えて壁により掛かっていびきをかいていた。
「明日がなんの日か、わかってるのか」
 半ば呆れ、その腕から空き瓶を取り上げる。
 とたん、壁にもたれていた身体がガクッと傾き、倒れそうになった。
「あぶな……ッ」
 とっさに腕を伸ばして彼の身体を支える。
「んっ………」
 その拍子に、支えた彼の首がガクッと反り返り、白い首筋が露わになった。
 瑞々しいソレに、思わず生唾を飲み込む。
「…………やめろバカ、今までなんのために……」
 フイッとそこから目をそらし、自分自身に言い聞かせた。
 だが心臓の動悸は激しく、欲情がふつふつと沸き上がる。
 爆弾発言から今日まで、自分は精一杯「普通」を演じてきた。
 彼を冷やかす同僚たちと一緒になって騒いで、からかって、そして祝福をした。
「お前が幸せなら…それでいいんだ………」
 そう何度も自分に説き続けた。
 そう何度も思った。いや、思おうとした。
 だが頭ではわかっていても、心は不平をタラタラと垂れ流してて。
 今まで納得できた言葉が、今夜だけは、納得できなかった―――。
「俺じゃ…だめか?……俺じゃ、お前を幸せには出来ないのか?」
 顔を苦しげに歪ませ、腕のピロシキをわずかに力を込めて抱きしめた。
「お前が幸せならいいと思った………でも、違ったんだ……」
 のんきな寝顔のピロシキを見つめ、うっすらと開いた唇に目がくぎ付けになる。
「ん……あ………」
 そんな俺の気配を察してか、ピロシキの唇が微かに動いてちらりと舌を覗かせた。
 キスしたい――そんな欲求にとりつかれ、彼を支える腕が震える。
 今ならばれない、最後の思い出だぞ、そう誰かが囁く。
 これは俺の意識下にあった想いなのか。邪な考えが、とりついて離れない。
「今なら……ばれない………」
 小さく呟いて、改めて彼の唇に見入る。
「……今なら…………」
 わずかに背中を丸め、ピロシキとの距離を縮める。唇に彼の息がかかる。
 あと少しで触れる、柔らかいそれに触れることが出来る。だが、
「こんなことが……したいんじゃない………」
 あと一歩というところでフイッと唇をそらし、苦々しげに拳を握った。
 そうだ、自分がしたいのは、こんな事ではない。
「お前の幸せが、俺の幸せだ……今までも、そしてこれからも………」
 呟き、そっと彼をベッドへと運びこむ。
 気持ちよさげに寝るピロシキを見下ろし、その額に張りついた前髪を払ってやる。
 その顔に、青い思い出がよみがえる。
 空に天使がいると信じ続け、はじめてこの基地に来たとき目にしたのが彼の撃墜シーンだった。
 高い空の上、くるくると旋回し、ヨロヨロと飛行を続ける一機の飛行機。
 だがなぜだか、俺にはそれがはっきりと天使に見えて。
 思わず自分の目をこすった。
 今思うと本当に不思議な、下らない誤解だが、思いこみとは怖いもので、以来ピロシキという人物を意識するようになった。
 そして知った、数々の彼の堕天使的な生活ぶり。
 酒を浴びるほど飲み、ロマンティストで、そして誰よりも陽気だった。
 だが同時に、そんなピロシキの新たな一面を発見するたびに、彼に惹かれる自分がいた。
 やがて想いは変化し。
 自分の感情が女性に対するソレと同じものだと気づいたときは、死のうと思った。
 死んで、悔い改めようと。
 だが彼を見るとそんなことは綺麗さっぱり忘れてしまって。
 今日までズルズルと生きてきた。
 俺を死へと追いやったのは彼で、また、俺を生かしてくれたのも彼だった。
「俺の天使………」
 微かな音をたてて、額にキスをする。
 そして静かにドアを閉める。
 部屋をあとにする。
 自分の秘めた気持ちはその場に置き去りにして―――。

「もういいのか?」
 部屋を出たと同時に、ロードに声をかけられた。
 なにもかも、お見通しだったようだ。
「ああ」
 思わず苦笑して、その横を通り過ぎる。
 だが背中にかけられた声に、知らず鼻の奥がツ…ンとしかけた。
「飲み直すならつきあうぞ」
 断る理由は、ない。
 明日は友の結婚式。
 俺は心からの祝福を捧げよう。

「………は健やかなるときも病めるときも彼を守り、生涯誠実であることを………」
 静寂な教会に牧師の声が朗々と響く。
 だがそんな言葉は一切耳に入ってこない。俺はきょろきょろと辺りを見回す。
 俺、リチャード・ハーレイは珍しく礼服を着て式場の後方に陣取っていた。
「なぁ……パードレは?」
 隣に座るロードにひそっと話しかけた。
 そう、友の結婚式であるにも関わらず、彼の姿はどこにも見あたらないのだ。
 先ほどからそれに気づいた人々はなにがあったのかと囁き、冷たい奴だ、となにも知らない奴は無責任な発言をする。
「そのうち来るだろ」
 前方を見たまま、それだけを言うロードに俺は返す言葉もない。
 でも礼服を着たロードは、見とれるくらい格好良くて。
 俺は朝からドキドキしっぱなしだった。
 どこから手に入れてきたのか、黒のショール・カラーのタキシードにブラックタイ。
 一見地味に見えるそれは、光に当たると玉虫色に光ることからかなり高価なことが伺える。
 そんな今日の彼は、イギリス貴族という肩書きもまんざら嘘でもないことを周囲に教えていた。
 でも俺としてはロードに色目を使う女達を睨み付けるのに大忙しで、ゆっくり彼を見る時間がなかった。
 花嫁側の友達、あのバカ女どものせいで!
「心配しなくても、帰ってからいくらでも見せてやる」
 そんな俺の内心悟ったのか、ロードがおかしそうに耳打ちしてきた。
 耳にかかる息にますます動悸は激しくなってしまった。
 俺ってとことんこいつに惚れてるのかも………
「では、誓いのキスを」
 気がつくといつの間にやら、式は佳境に入っていた。
 パードレは、まだ現れない。
 俺の心臓はまるで自分のことのように早鐘を打っていた。
 ギュッと手を組んで神に祈る。
 早く、早く来いよパードレ!このままで終わっていいわけないだろ!?
 祭壇では、今まさに新郎新婦が誓いのキスをしようとしている。
 じっとりと汗ばむ手のひら。
 そのとき、俺が見た光景は―――。

「ピロシキッ!」
 突如、教会に響いた自分を呼ぶ声に俺は閉じていた瞳を開く。
 ざわつく会場。
 キスをしかけた体勢を立て直し、聞き慣れたその声の主を捜す。
 彼がここにいないのは、前から気づいていた。
 でも、だとしたら今の声は?幻聴?……まさか、そんなはずない。
 どこだ、どこにいる?
 必死に教会中を見回して、そして、見つけた。
 両開きになったドアの前で仁王立ちになった彼を―――。
「……パードレ………」
「来い!」
 自分に向かってさしのべられた手。
 なぜ、なぜ彼はこんなことを………
「…………ばっかじゃねぇの……」
 声にしてみると震えてるソレに苦笑して、
「俺がお前の言うことに………逆らえるわけねぇじゃん……」
 薬指にはめた指輪を抜く。
 こうなることを、心のどこかで願っていた。それこそ、彼に結婚宣言をしたときから。
 彼の自分に対する気持ちは前々から気づいていた。
 だからなにもしかけてこない彼が、ときに焦れったく、いらつきもした。
 不思議と、気持ち悪いなどという考えは起きなくて。
 彼の行動を待っていた。
 だが神に操をたてているのか、一向に手を出してこないパードレに仕返しのように今回の結婚話をうち明けた。
 暗に、俺が好きならさらってしまえ、と訴えて。
 そして今日、今、彼は目の前に現れ、俺を連れ去ろうとしてる。
 俺が選ぶ道は、決まりきってた。
 一歩踏み出したところでタキシードの裾をギュッと引っぱられ、視線をそこへと移す。
 不安げな顔をした、婚約者と目があった。
「やだ………」
 か細い声。行かないで、とその瞳は訴える。
「ごめん」
 ギュッと抱きしめた。親愛をこめて、その耳に囁く。背中に回された腕が、力を込める前にするりと身を放す。
 ヴァージンロードを走り出す。
「待ちなさいッ!」
「あの男を捕らえろ!警察につきだしてやる!」
 親類縁者が驚愕の顔で自分を見つめ、やめさせようと慌てて席を立った。
「わりぃ。俺、あいつじゃないとダメみたいだ」
 そんな彼らに笑顔で答え、伸びてきた腕をうまくかわす。堅苦しいタキシードを脱ぎ捨てる。
 ―――その先にいる男を目指して、ただ一心に走る。
「パードレ!」
「行くぞ」
 抱きしめあったと同時に、横抱きに抱えられた。まるで新婦のような扱いに、今更ながら顔が熱くなる。幸せというよりも、恥ずかしさが先に立った。
 彼の鼓動が伝わってくる。ドクドクと速いそれに、こんな大それたことをしたくせに、と笑いがこみ上げてくる。
 行っけー!と歓喜に染まったリックの声が、背後から聞こえた。
 見えない彼に、心からの感謝をする。
 俺たちのために親身になってくれた友に―――。
「おい…こんなものどこから……」
 二人して教会を飛び出し、そこにあったものに俺は呆然とした。
「基地から拝借してきた」
 さっさと乗り込むパードレだが、俺はいまひとつ信じられないという風に目の前にあるSE5を見上げた。
「さっさと乗れ。捕まるぞ」
 既にゴーグルをつけ、操縦席に座ったパードレが急かす。
「あ…ああ……」
 困惑しながらも複座に乗り込み、急ぎ離陸の準備に備える。座席に自分が愛用していたスカーフを認め、思わず顔をほころばせた。
 蝶ネクタイをはずし、代わりに使い慣れたそれを慣れた手つきで素早く首に巻き付ける。
「準備できたぞ!いつでもオッケーだ!」
 操縦席のパードレに叫んだと同時に教会の扉が開く。
 追っ手か、と瞬間身体をこわばらせた俺が認めたのは、すっかり礼服をくつろがせたロードの姿。
「忘れ物だ!」
 放り投げられた革袋をキャッチして、中身が相当な額の金であることを知って慌てて彼を見返す。
「これ………」
「新婚生活の足しにしろ」
 困惑する俺に、奴は珍しく、に、と口端を曲げて笑んだ。
「今まで世話になったな」
「ロード………」
「行くぞ!」
 声をかけようとしたところで、パードレの声がそれを遮る。
 別れを惜しむ暇もない。
 離陸は既に始まり、ゆっくりと車輪が地面を滑り出す。
 パードレはぐっと親指を立て、背後に送られるロードを見やり。
 俺は微かにぼやけた視界でそれを認める。
「元気でな」
 プロペラ音にかき消されそうになるロードの声。それに答えようとするのに、風圧でうまく声が出ない。
「幸せになれよ!じゃないと承知しねーからなッ!」
 車輪が地面を離れたと同時に、教会から飛び出してきたリックが、まるで自分のことみたいに泣きながら手を振ってきた。
 追いかけてくる親類縁者を扉の内側に閉じこめながら、グスッとすする鼻音がこっちまで聞こえてきそうだ。
 ふわっと機体が浮かび上がる。
 何度も味わった感覚。だがなぜか、今日は涙が出るほど幸せで。
 同時に次第に遠ざかる大地が恋しくてたまらなかった。
 小さくなる教会。2人の姿。
 いつまでもそれを見つめて、我慢できずにパードレに叫んだ。
「頼む!旋回してくれ!!」
 だが俺が頼むよりも先に機体は方向を変え、まっすぐ教会へと折り返す。驚きを隠せない俺に、操縦席のパードレがひらひらと手を振った。
 なんでもお見通し、そんな彼に今すぐ抱きついてやりたい。ぎゅっと抱きしめて、その顔にキスの雨を降らしてやりたい。
「サンキュー!」
 でも今はそんなこと叶うはずがないから、せめて声だけでも感謝を伝える。
 キスはお預け。パードレ、聞こえたかな?
 そして再び近づく教会に2人を見つけ、俺は首に巻かれたスカーフをシュッとほどく。
 なにしてんだ、早く行けよ!と叫んでいるだろうリックを認め、放り投げた。
「次はお前らだ!」
 ブーケ代わりのスカーフはひらひらと大空を舞い、見事リックにキャッチされる。
 それを認め、俺はぐっと親指を立てて奴に微笑んだ。
 真っ赤になるリックと、そっぽを向くロード。再び遠のく2人の姿。
 なにもかもがぼやけて見えるのは、きっと風のせい。
「幸せになれよ、か…………」
 リックに言われた言葉を思い出す。前方にいるパードレの背中を見つめて、拳を握った。
 沸々とわいてくる感情。
 大空に向かって飛ぶSE5は計り知れない希望を運ぶ。
「なってやろうじゃん」
 呟いた言葉は思った以上に勇気を伴い、俺はこみ上げる笑いを感じながら叫んだ。
「見てろよ!絶対幸せになってやるからな!!」
 犠牲は大きい。
 俺達を認めてくれない奴らも大勢いる。
 だがそんな奴らに、数年後、笑い話程度に話せてもらえるような存在になれるなら。
 いつの日か、祝福をしてもらえる日が来るなら。
 その日を夢見て暮らしていってもいいんじゃないだろうか。
 結果が全てとは言わない。
 でも、思うだけなら許してくれるだろう。
 俺は拳を握り、目の前に広がる膨大な世界を見据えた。
 この先にあるのは希望と、不安。
 だが………
「2人ならなんとか乗り越えるよな」
 確信めいた言葉は、自分を更に勇気づけてくれる。
 そう、パードレと2人ならなにがあっても大丈夫だ。
 大空に飛び出したSE5。
 その日、俺達もまた新しい未来へと向かって飛び立ったんだ。


はじめに言っときますが、俺は映画「卒業」を見てません(爆)
ただ漠然と「結婚式で恋人が花嫁をさらいに来る映画」という認識はあるんですが……。
ということで、かなり違う点があるかも知れませんがそのへんはご了承くださいm(_ _)m
しかし……ねぇ、すごいラブラブじゃん?(笑)
ちなみにこれ書き始めたのは今年の4月だってよ(爆)
よく今日まで隠してたな、俺(笑)
なにはともあれ、個人的には結構楽しんで書けた小説でした。楽しんでいただければ幸いですm(_ _)m

 

 

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