猫が、いなくなった。
とても可愛がっていた猫だったのに。
「…ふ、ぇ……」
もう三日が経つのに、まだ見つからない。まだあんなに小さいのに。一人じゃとても、生きてはいけないのに。
思い出しただけで、ポロポロと涙が溢れてしまう。
だってあれはレオンがくれた猫だった。
シーヴが飼ってるみたいな猫がほしいと駄々をこねた自分に、仕方がないと言いながら、でも次の日にはとても可愛いあの子を連れてきてくれた。
真っ黒い、小さな子猫。
キリの髪の毛みたいだね、とあの人が笑ってくれたから、嬉しくてちょっと泣いてしまった。抱きしめた子猫は、思った通りぐんにゃりして、そしてとても温かかった。
「え…っく、…」
流れる涙を袖口でぐいぐい拭いながら、庭の片隅や礼拝堂の暗闇を探して歩く。
ホワイトレジデンツはとても広いから、きっとどこかで迷子になってるの。ヴァルカーレさまもそうおっしゃったじゃない。
そう何度も自分に言い聞かせるのに。
どうしてこんなに涙が出るんだろう。どうして、子猫はいつまでも見つからないのだろう。
どうして。
どうして――。
「…えっ…えっ…」
あの子がいなくなったのに気づいたのは、夕暮れも間近な中央庭園。
それまでトコトコ後ろをついてきてたのに、振り向いた時にはどこにも姿が見えなくて。
何度も名前を呼んで、茂みの中まで探してみたけれどどこにも見つからなかった。
あんなに小さくて、可愛い黒猫。
遠くまで行けるはずがないのに、どこにも見当たらない。
気が付けば辺りはすっかり真っ暗で、闇があの子を隠してしまいそうでまたポロポロと涙が溢れた。
何度も名前を呼んで、何度も暗闇に向かって手を伸ばす。
そしていつまで経っても夕食の席に現れない自分を心配したレオンが探しに来た時には、涙でボロボロになった顔でしがみついていた。
「キリ?」
「ごめ、なさい…ご、めんっなさい…」
「どうした」
「猫を…逃がしてしまったの。レ、レオンからもらったのに、レオンから…」
言ってる間も涙が溢れて、何度もしゃくり上げた。
レオンはずっとおさまるまで頭を撫でてくれて、それからそっと背中におぶってくれた。
大好きな、レオンの背中。
大きくて温かくて。キリはそっと、涙に濡れた頬を押しつけた。
食堂までのわずかな道のり。レオンが喋った言葉はちょっとだけ。
「すぐに見つかる」
今まで色んな人に言われた言葉。だけど、レオンが言うと信じられる。
レオンはいつもそうだから。いつも、正しいことを言ってくれるから。
うん――。
キリは小さな声で、頷いた。
だけど子猫はまだ見つからない。
泣き疲れて、ちょっとだけ涙が乾いた頃。それでも猫を探す手を休めることなく、キリは茂みの中を四つんばいになって猫の名前を呼び続けた。
「まだ見つからないのか?」
いやな奴に会った。
草むらから抜け出したところでバッタリ出会ったシュウは、ちょっと驚いた顔をして、それからすぐに呆れたようにキリを見下ろした。
幼馴染みの彼にもキリの子猫がいなくなったことは知らされていたのだろう。
大人びた仕草でフン、と鼻をならし、
「キリが構い過ぎたんだろ。猫もいやになって家出したんだよ」
「違うもん!シュウなんか大っきらい!」
一度は止んだ涙が、シュウの言葉でまたポロポロと溢れてきた。
普段ならもっと言い返せるのに、あんまりにも哀しくて逃げ出すみたいにその場を走り去る。
きらい、きらい。シュウなんか大っきらい。
「おや、キリ。こんなところでどうしました?」
「…ヴァルカーレさま」
どのくらい走っただろう。
柔らかな声に顔を上げれば、ふわりと笑う美しい顔がそこにあった。
あんまりその笑顔が優しいから、キリはくしゃりと顔を歪ませる。零れそうになった嗚咽が喉をふるわせた。
ヴァルカーレさまも本当は呆れてるかもしれない。
シュウみたいに、私が悪いんだって思ってるのかもしれない。
じわっとにじむ視界は涙が溢れてきた証拠で、慌てて手の甲で擦ろうとしたところを不意に伸びてきた腕に体ごと抱え上げられた。
間近に迫る、白金の人。
その美しい人が困ったように笑みを浮かべた。
「その様子だと、あの子はまだ見つからないのですね」
「えっ…っ、シュ…ウが…」
「シュウがどうかしましたか?」
「わ、わたしが…ぃっく、あのッ子をかまい…すぎたっ、て…」
キリの涙声に、ほんの少しヴァルカーレは笑い声をしのばせた。
キリは知らないのだ。レオンから子猫をもらったことに、幼いシュウが嫉妬していることを。
だが今それを言うのは適切ではなく、泣きじゃくるキリの黒髪をことさら優しく撫でながら、ヴァルカーレは信徒を悩ませてならない美声をそっと耳元でふるわせた。
「レオンはなんと言ってます?」
「…っ、す、すぐ見つ…かるって…」
「ええ、私もそう思います」
そして泣きじゃくるキリに顔を近づけ、唇が触れそうな距離で目と目が合う。
ねぇキリ、と甘く囁く声にキリも一瞬泣くのを忘れ、間近に迫る瞳を見つめた。
綺麗なヴァルカーレさまの銀色の瞳が、キリはとても好きだから。その瞳に映る自分を見るのは、もっと好きだったから。
「本当はね、私はほんの少しあの子に嫉妬してたんですよ」
「……しっと?」
「ええ。私の可愛い黒猫さんが、あの子にばかり構うから」
けれど予想もしなかったヴァルカーレの告白に、わからないという風に小首をかしげるキリ。
その愛らしい仕草に笑みを零し、
「大丈夫。レオンと私が見つかると言ったら、必ず見つかりますよ」
まるでそれが当然というような口調でキリに話し掛け、
「そうでしょう?」
誰にともなく呼びかけるヴァルカーレの声に従うように、いつからそこにいたのか、背後からスッと音もなくレオンが歩み寄ってくる。
そしてキリは、その手に包まれた小さなものに目を奪われた。
抱き上げてくれるヴァルカーレの手から逃れようと体をよじれば、察した腕がするりと力を抜いてくれる。
「……レオン…っ!」
飛びつく勢いで近づいたキリに、レオンは無言で手の中の子猫をそっとキリに手渡す。
あれだけ探しても見つからなかったのに。
でも、レオンは見つけてくれた。約束を果たしてくれた。
好き、好き――…大好き、レオン。
「庭の隅の溝にはまって身動きが取れなかったようだ」
あそこはわかりづらいから、と経緯を話すレオンにヴァルカーレが「あんなところまで探しに行ったんですか」と呆れるのが耳に入る。
三日ぶりに見る子猫は、キリの腕に抱かれて小さく「にゃあ」と鳴いた。
じわ…と視界がにじんでしまう。
「おや、また泣かせてしまいましたか?」
からかうような口調のヴァルカーレに、キリは何度も首を横に振り、
「これは嬉し涙です、ヴァルカーレさま」
そして三日ぶりの、とびきりの笑顔を見せた。
◆comment◆
ヴァルカーレ様、必至にキリをたぶらかすの巻(笑)
BV4のちびキリのあまりの可愛さにノックアウトされた結果、いてもたってもいられず書いたのがこれなんですが。
キリ泣きっぱなしだよ。鬼畜だよ。でも…でもそれが可愛いんだよっ!
あとヴァル様には何が何でも作中「子猫ちゃん」って言わせようと張り切りました。叶って良かったよ(笑)
しかしちびキリ・エピソードは本当に萌え萌えなので、今後も本編でちょい出しで良いのでコンスタントに登場してくれることを願います。
ちびキリの寝癖を直してあげるエイセルとか、生まれたての乳児・キリを育てるためにシーヴに「母乳を!」とか言って殴られるエイセルとか…って後者有り得なさすぎ!
相変わらずアホですな…でもそのアホ発言が次への活力になる!…かな。