『唯一の後悔』 Written by Takumi


 兄がいると聞かされたのは、物心ついて間もないときだった。
 自分に兄がいる。血の繋がった兄弟がいる。
 それはひどく私を驚かせ、同時にこれ以上ないほどの喜びを与えた。
 もちろん、屋敷にいる使用人は優しい。
 だがそれと兄弟に対する気持ちはまるで別物で、以来私はまだ顔も知らない兄上に想いを馳せていた。
 噂に聞いたのは彼も自分同様、あまり身分の高くない婦人の子供だということ。
 既にカデーレ宮入りし、日々皇帝候補としての教育を受けているということ。またその成績は非常に優秀であること。
 日々耳にする、彼の些細な噂話。
 次第に形を成す、兄ドミトリアスの姿。
 そして高まる欲求――彼に、兄上に逢いたい!
 彼に会って話したいことがたくさんある。
 今日マスターしたクッキーの作り方。愛馬の妙な癖。三つ編みの結び方。
 自分を、イレシオンという人物を、彼にもっと知ってほしかった。
 自分だけが彼を知っているのではなく、彼にも、自分を知ってほしかった。
 そう思うといても経ってもいられず。
 だからソレを思い立ったのは、私にとっては当然の結果だった。
――カデーレに行かせてください――
 あのときの乳母の悲しげな笑み。
「止めても無駄ですね」
 だがなにも言わず、それだけを言うとすぐさま私のカデーレ宮行きを許してくれた。
 私がどれだけ悩んだ末の申し出か、わかっていたのだろう。
 彼女を残しカデーレに行くことは心が痛んだ。だがしかし、自分はどうしても兄上に逢いたかった。
 そのためには、多少の犠牲も仕方がないと思った。
 今思うと不思議なほど、自分は兄上に対して特別な感情を持っていた。
 そして待ちに待った、カデーレ宮入りの瞬間。
 今でも忘れられないシーンが、そこにはあった。
 物珍しそうにキョロキョロとホールを見回していたとき。突然、頭上から声をかけられた。
「お前がイレシオンか」
 声変わりを迎えた、やや掠れた声。
 だがしっかりとした意志の強さがにじみ出たそれが誰のものかなど、顔を上げずともわかった。
 気がつけば、身体が震えていた。
 長年想いを馳せていた相手が、今目の前にいるという事実に頭がついていかない。
 ゆっくりと、顔を上げる。
「兄上……ドミトリアス様ですか?」
 確かめなくてもわかる。
 燃えるような赤い髪。鷲のようなするどい眼光の瞳。
――噂なんて信じるものじゃない。
 彼を見た瞬間、そう思った。
 実際の彼は、噂の何倍も素敵で、格好良くて、聡明だった。
 その彼が、私の問いかけににこりと笑みを浮かべた。
 それまで鋭かった表情が、その瞬間柔らかなものへと一変する。
「夢に出てきたのとまったく一緒だ」
「え……?」
 その言葉が一瞬理解できず、聞き直す。
 すると彼は恥ずかしそうに頭をかきながら肩をすくめて見せた。
「弟がいると聞いたときからずっと、どんな奴かと思ってたんだ」
「ドミトリアス様が、私を……?」
 驚きで目を見開く私に、兄上は再び笑みを深めた。
「ドーンで構わない。俺もシオンと呼んでいいか?」
 その笑みに見とれそうになった自分。だが彼の問いかけにハッと我に返る。
「はい……ドーン兄上」
「よし、では屋敷内を案内しよう」
 心底嬉しそうに破顔する。
 涙が出そうになった。
 自分だけが彼を知っていたのではない。彼も、私を知ってくれていた。それも、夢にまで見るほどに。
 この方になら全てを託せると、その瞬間思った。
 皇帝になるべく器を持っていると、確信した。
 なら私は、彼がそうなるべく手伝いをしよう。
 彼に代わって、どんな汚いこともしてみせよう。
 そのとき、そう私は胸の内で強く誓ったのだった。

 銃口が向けられる。
 その筒をぼんやりと眺めながら、苦笑した。
 こんなときにそんなことを思い出すなんて、どうかしてる。
 後悔しているわけではない。
 おそらくこれで兄上は候補者として本気で乗り出すはずだろう。
 支援者は大勢いる。彼はかつてないほど優秀な皇帝になるだろう。
 それを側で見られないのが少し寂しいが。
 そうだな。
 唯一後悔があるとすれば、それはきっと―――
 火花が散った。視界が真っ赤に染まる。
 「死」というものを、リアルに感じた瞬間。
 遠のく意識。
 その中で、朦朧と考える。
 唯一の後悔。
 それは、兄上を泣かせてしまったことだろう―――。


どシリアスです(^-^;
これまで多くの笑いを取ってきた血伝小説ですが、この作品で初めて「笑わなかった」だの「悲しかった」という意見をもらいました。
当然、俺が自分の作品でそんな評価をもらうのも初めてです(笑)
ちなみに密かに突っ込んでほしかった「シオンの三つ編み」には誰も触れてくれませんでした(爆)
嬉しさ半分、寂しさ半分ってところか?
でもシオン、本当にこんなこと死の間際に考えてそうで怖いよね……←なぜ素直に哀れと言ってやらない(-_-;)
なにはともあれ、この小説でなんとかシリアスもいけると思ったタクミ(笑)
このあと再びシリアスものが続くのは必至である(笑)

 

 

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