『義弟とその愛』
ざわめく教室を一瞥し、こっそりとため息をついた。
どこを見回しても紺野ブレザーばかり。憧れのサラサラ長髪はいても、くっついてくるのは決まってむさ苦しい男の顔である。
胃薬を飲んでもなお痛む胃をさすりながら、ドミトリアスは出席簿を開いた。
「欠席は……ミューカレウスと…アルゼウスか。誰か理由を聞いてないか?」
名前を確認した途端、どっと疲れがこみ上げる。
遅刻とさぼりの常習犯でもあるこの生徒二名は、なにを隠そう自分の異母弟である。
おまけにアルゼウスに至っては先ほどの保健室でのこともあり、未だ複雑な思いを胸中に抱えたままだ。
だがそんなドミトリアスの内心など知るよしもない生徒から、笑いを含んだ返答がそこここであがる。
「ま〜たサボりかよ。ドーン、あんた舐められてんじゃねーの?」
「良いねぇ、あんたのだったら俺、舐めれるぜ」
ドッと笑いが起こる。
真っ赤になったドミトリアスは、果たして怒りからかそれとも羞恥からか。
なんにせよ、そんな態度一つ一つが彼らを喜ばしているとは全くわかっていないところに、彼の不幸があると言えよう。
「良いから授業始めるぞ!」
バンッ…と教科書で教卓を叩き、場を沈める。
だがそれから数分後、授業がやっと普段通りに進みはじめた頃になって突然、
「すいませ〜ん、お腹痛くて保健室に行ってました〜」
「同じで〜す」
笑いを含んだ声で悪びれる様子もなく教室に入ってきたのは、噂の義弟コンビ、アルゼウスとミューカレウスだ。
同時に教室に小さな歓声が上がる。
理由は二人の持つ華にあると言うべきだろうか。
二人とも背丈はそれほどないが、綺麗で愛らしい顔立ちをしている。おまけに穏やかなアルゼウスは総務としての役割もこなす頭があり、多少元気すぎるミューカレウスは人望が厚く友達も多い。
そしてなにより二人が揃うとそこだけ妙に空気が変わって見えるのは……おそらく肉親の欲目ではないはずだ。
時折冗談半分で上級生たちから我が校の百合だの薔薇だのと言われている彼らだが、その実浮いた話というのが一つもないところが妖しいともっぱら噂である。
噂噂噂……まったくもって、噂で成り立っている学校生活と言っても過言ではない。
だが今は迎える生徒に笑顔で答える二人の遅刻者を教師として諫めなくてはいけないと、ドミトリアスの頭は使命感で燃えていた。
思い立ったが吉日。
早速二人を廊下に呼び出し、教室との接点である扉を後ろ手に閉めた。
他のクラスでは授業の真っ最中か、ボソボソと話す小さな音しかしない。そんな中、生徒二人と対峙するドミトリアスは教師使命に周りが見えていない。
それどころか、先ほどアルゼウスにヤラれた出来事など綺麗さっぱり忘れている。
この性格が、彼がこれまで何度多くの生徒に押し倒されかかれようと退職を考えることもなく、なんとか無事学校生活を過ごせてきた所以だ。
「そこの二人。前に来てどうして遅刻したかを報告しろ」
「だから理由ならさっき言っただろ。何度言わせる気だよ」
バーカ、と先生を先生とも思わない言動を取るのは四男のミューカレウスだ。
祖父を現教頭に持つ彼は、なにかとドミトリアスに突っかかってくる。
それというのも、彼らの父親が現理事長であり、跡継ぎが世襲制と決まっているのが全ての原因だった。
現理事長の息子はドミトリアスを筆頭に四人。
社会科の教師を務める彼と、同様に家庭科で教鞭を取るイレシオン、1年Lクラスの問題児アルゼウスとミューカレウスだ。
だが今のところ理事長候補としての最有力者はアルゼウスとミューカレウスだと噂されている。
なんと言っても彼ら二人の後継人は現生徒指導教師と教頭だ。おまけに両者の母親はそれぞれPTAで活躍しており、現理事長への発言力もあるだけに、どちらも引けを取らない様子である。
だが逆にドミトリアスとイレシオンは、お互い母親が単なる一般人ということもありこれと言った後ろ盾がない。
自然、理事長合戦は弟二人を中心としたものになると思われたが、ドミトリアスも生まれながらの頭と努力で確実に名を挙げつつある。
たとえ生徒の間では舐められがちな教師であろうと、一言教育改正について語りだすと右に出る者はいないと言われている。
そんな彼に、一回り近くも歳の違うミューカレウスが過剰に反応しないわけがない。
というわけで、授業中だろうと休み時間だろうと、暇さえあればミューカレウスはドミトリアスに突っかかっていた。
だがそれは第三者から見れば、弟が兄に甘えていること以外の何物でもない。
そのことに気付いてないのが、ドミトリアスらしいと言えばらしい。
「教師に向かって馬鹿とはなんだ」
「馬鹿だから馬鹿って言ったんだよ。そんなのだから生徒からも舐められるんだろ」
「舐められるのはもう十分だっ!」
言った瞬間ハッと我に返ったドミトリアスである。
決してミューカレウスの口車に乗ったわけではないが、舐める、という単語に妙に反応してしまったのは否めない。
なにもかも、目の前で二人のやり取りを冷ややかに傍観するアルゼウスの青い瞳が原因なのだろう。
「誰かに舐められたんですか?」
その彼が、ゆっくりと口を開く。
シン…と静まった廊下にその声はやけに響いた。
「い、いや…俺が言ったのは、だな……」
嘘が付けない性格をこの日ほど恨んだことはない。
「舐められたんですね」
「あ、舐められたんだ?」
シリアスなアルゼウスとは対照的に、明るいミュカの声がこの時ばかりは効果以外のなにものでもなかった。
真摯な瞳に見据えられる。
まざまざと瞼の裏に先ほどの保健室でのやり取りが蘇った。
「い、いいからもう席に着け。授業始めるぞ……」
なんとかそれだけを言って教室へ続くドアを開けると見せかけて、アルゼウスの視線から逃れようとしたドミトリアスだが、
「授業?……そんなもの、できるわけないでしょう」
冷ややかなまでのアルゼウスの声。
シュルッと背後でなにかをほどく音がしたかと思うと、
「お仕置きが必要ですね」
ぐいっと両腕を掴まれた。なに、とばかりにその方向に視線をやれば、にやついた顔のミューカレウスが目の前。
「なっ…なに……!」
「往生際が悪いんだよ、あんた」
「ミュカ、そっち押さえてて…あとここも……」
「ばっ…お前たち、こんなことしてただで済むと思うなよ!」
怒鳴ったところで、二人がキョトンと互いの顔を合わせた。
次いでプッ…とどちらともなく吹き出す。
「あんたさぁ……」
器用にアルゼウスが掴んだ両腕をネクタイで結びながら、おかしそうにミュカがドミトリアスの耳に唇を寄せて囁く。
「教頭と教育指導教師の孫捕まえてなに言ってんだよ」
馬鹿じゃないのか、と再び嘲りも露わに笑った。
既に原作とはかけ離れたミューカレウスに、ドミトリアスはショックを隠しきれない。
おまけにその間に着々とアルゼウスが彼のシャツボタンを外すものだから、気がついたときには既に半裸と言って良い状態だった。
「はな、せ……!」
身体をよじり、なんとか二人の手から逃れようとするドミトリアスだが、いくら高校生とはいえ二人掛かりとなるとそう簡単に逃げられるはずもなく、
「……っ…、……」
そうこうする間に露わになった肌にミューカレウスが舌を這わせてきた。
外界に晒され一瞬鳥肌を立てたところを一気に攻められる。
「やめっ…ミュカ……!」
普段は呼ばない彼の愛称。
それだけ理性が吹き飛んでいる事実に、ドミトリアスは気付いていない。
「あっ…つ……」
乳首を舐められた。舌で転がされる。それも、半分血の繋がった弟に。
まるで下手なAVビデオのような設定である。
「ミュカ、ちょっとどいて」
胸板に顔を埋めたミュカを押しのけ、アルゼウスが正面へと回り込んできた。
なにを、と開きかけた唇を顎ごと掴まれ開いた隙間から強引に舌をねじ込まれる。くぐもった声がドミトリアスの方からあがったが、あえて無視して突き進むところが三男の彼らしい。
「……ん…ぃ、………」
巧く言葉がでない。
おまけに運が悪いことに、教師のいなくなった教室は次第に雑音を増していって、このままでは他の教室の迷惑になりかねない。
それでなくても上層部の連中に睨まれてるドミトリアスである。
ここで新たな問題を抱えるのはなによりも痛かった。
「……はなっせ、……て…!」
渾身の力で縛られた腕ごと振り回した。うわっ…という声と同時に二人が同時に壁へと吹っ飛んだ。
「ひどいですよ、兄上」
「なっ…それがひどいなら、お前たちが俺にしたことはなんだって言うんだ!」
「麗しい兄弟間のスキンシップ」
「嘘をつけ!嘘をッ!!」
しれっと言い返すアルゼウスに激昂したまま、だがすぐさま自由になった手で器用に結ばれたネクタイをほどく。
あ〜あ、とさも残念がった様子のミューカレウスを睨み付け、続いて廊下に転がったままのアルゼウスを指さした。
「お前たちが俺を嫌ってるのは知ってるが、こんな方法は男らしくないぞ」
「ある意味ひどく男らしいと思い……」
「アルゼウス!」
言いかけた弟の言葉を制し、乱れた着衣を直しつつもドミトリアスは語気を強めた。
乱れた前髪は乱暴に手櫛でなんとか形を整え、自分を落ち着かせるようにゴホンと一つ咳をする。
「二度とこんなことはするな。あと、遅刻もだ」
返事は、と促す兄に義弟たちも今回ばかりは大人しく、は〜い、と答える。
だがその瞳が全く反省していないことは誰の目から見ても確かだった。いや、気付いてないのはドミトリアスだけか。つくづく鈍感な男である。
それと、と言葉を続ける鈍感男が教室に繋がるドアをガラッと一気に開け、中にいる生徒に向かって怒鳴りつけた。
「今日は自習だ!教科書の第1章から5章まで、ノートに書いて明日までに提出。忘れた者には更に追加特典があるから、心してやるように」
え〜!と一斉に教室はブーイングの嵐。
だがそれを無視して、すぐさまドアを再び閉めたドミトリアスは、未だ廊下で座り込んだ可愛い義弟たちを見下ろし、にっこりと微笑む。
「お前たちは1章から8章までだ」
「……………!」
二人が大きく目を見開き絶句したのを見て、少しは胸がスッとした彼は以外と公私混合するタイプなのかもしれない。
なにはともあれ、授業は自習と決まった今心おきなくこのストレスを発散することができるというわけだ。
意気揚々と廊下を歩いていくドミトリアスの背を眺め、アルゼウスが小さくため息をついた。
「どうしてああ鈍いんだろうね」
「そこが良いって言った物好きは誰だよ」
「………お前もだろ」
「………うるさい」
案外と相手を振り回しているのはドミトリアスの方が上なのだろう。
だが当の本人は知る由もなく、廊下の曲がり角に消えていく。
義弟二人がため息をついたのは、それからすぐのことだった。
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