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『女王様とその下僕』
「掃除の時間になりました。生徒の皆さんは……」
良く通るカリエの声で掃除開始の放送が流れた。
ざわざわと騒ぎ出した教室のあちこちから、道具を片手にした生徒達がかったるそうに出てくる。
その様子を見届け、ドミトリアスも同じように職員室に設置された掃除用具入れからほうきを取り出した。基本的に教師も生徒同様、美化活動に参加することが義務づけられているのだ。
掃除時間は十五分。決して長いとは言えないが、それでもしっかりと時間内は掃除に徹しているからか、校内は常に清潔に保たれている。
「と、これで今日のゴミは終わりか?」
職員室の掃除役に割り当てられた生徒達に声を掛け、ドミトリアスはゴミの詰まった箱を持ち上げた。
ミスプリントを始め、やたらとかさばる物が多いそれは見た目よりも重くはない。
ひょいっと小脇に抱えたところで、背後から微かに驚いたような口笛が鳴った。
「……なんだ?」
「ドミトリアス先生、思ったより力あるんですね」
つまらない、とばかりに肩をすくめたのは朝に不意打ちのセクハラをしてきたコルドだ。
掃除をさぼって校内をフラフラしていたのだろう。片手をかったるそうにポケットに突っ込んだまま、空いた手で垂れてきた前髪をかきあげる。
「せっかく手伝って株を上げようと思ったのに」
照れたように笑うその表情は、一般に女殺しと言われる彼の必殺技だ。だが当然鈍感なドミトリアスは気付くこともなく、いとも容易くその笑顔に鼻を鳴らすと、
「俺を手伝う前に自分の掃除区域を助けたらどうだ」
良いからそこをどけ、とばかりにそんなコルドの脇を通る。
通りすがりに再びぺろりと尻を撫でられた。学習能力がないとはまさにこのことで、案の定真っ赤になったドミトリアスが振り返った頃には当の本人は廊下の曲がり角。嬉しそうに手を振りながら、笑った。
「両手を塞ぐなんて襲ってくれって言ってるようなもんですよ」
「お前だけだ!」
「あれ、もう忘れたんですか。自覚無いところが怖いって、今朝も言ったでしょ?」
へらへらと笑顔を向けるコルドだが、本人も相手がここから追いかけても間に合わないとわかってるだけに余裕がありありと見える。対するドミトリアスも、それを承知でなにもできない現状に歯噛みした。
なんとか一言ガツンと言ってやろう、そう思ったドミトリアスが口を開き掛けたとき、だが不意に真面目な顔つきになったコルドが声を潜めるようにして言った。
「今から焼却炉に行くんですよね?」
「……ゴミ箱持って他にどこに行けって言うんだ」
「じゃあ用務員の男に気をつけて下さい。噂だとどうもヤバい奴みたいですから」
「………ヤバいってなにがどうヤバいんだ」
「それは…っと、まずい。それじゃ!」
言いかけた唇を慌てて押さえ、きびすを返したコルドを引き留めようとしたが、
「また生徒にからかわれてたんですか」
困りますね、と背後から掛かった声に思わず顔をしかめる。
まずいところでまずい人に出くわしたと、その表情は語っていた。声の主を確かめるまでもないが、一応目上の者に対する礼儀としてうんざりとした表情を極力控えて振り返れば、案の定一番見たくない顔が目の前。
刻まれた皺はこれまで粛正してきた生徒の数だとまで言われる教頭、通称西公が立っていた。
聖女神伝はそもそも理事長を筆頭に、その下を四人の幹部教師が占めて成り立っている。そしてその幹部をそれぞれ東・西・北・南公と称し区別していた。
さしずめ生活指導の東公・教頭の西公・PTA会長の北公・総合学年主任の南公といった具合に。
だが本来ならば四人が協力して理事長をはじめとする学校運営にいそしむはずが、いつからか互いの権力争いばかりを気にして常に水面下の戦いが行われていた。
おかげでその下であくせくと働く教師達にとっては、彼らの争いにいつ巻き込まれるかと気が気でない。
特にドミトリアスは理事長の息子、次期理事長候補ということもあり常日頃の生活態度を含めてしばしば彼らの注目を浴びていた。
ドミトリアスが彼らを相手に自然警戒するのは仕方がないと言えよう。
とはいえ、その教頭が目の前で自分に話しかけているからには聞かないわけにはいかない。
なるべく視線を合わせないよう俯きながら、大人しく耳を傾けた。
「先日もお話ししましたが、あまり生徒との距離を縮めすぎるのはどうかと思いますね」
「はぁ、申し訳ありません」
好きで縮めてるんじゃない、と言いたいのを我慢して俯けばそっと伸びてきた腕がするりと頬を撫でた。
背中に走った悪寒と鳥肌を隠すように身体を強張らせれば、含み笑いがすぐ側であがる。
「まぁいい。今日の放課後、その件についてはじっくり語るとして……」
「あ、あの!ゴミを捨てに行かないといけないので今日はこれで!」
だが更に伸びてきた掌を避けるように一歩後退したあと、取って付けたような言い訳をした。一応手にはゴミ箱があるので、嘘とも言い切れない。
相手が声を掛ける隙に猛然とダッシュした。
その背後で教頭がにやりと笑ったとも知らずに。
「ゴミはきちんと分別しろといつも言ってる」
焼却炉近くであがった声に、ドミトリアスは茂みからふと顔を覗かせた。聞き慣れない声は用務員エディアルドのものだ。ヒカイの思い人として名高い彼だが、一目惚れが納得できるほどの美貌を備えた若者だった。
その彼が一生徒を目の前に説教していたらしい。
無表情の顔と同様、抑揚のない声が淡々と聞こえた。
「ペットボトルは蓋を外して包装を取る。空き缶はスチール缶とアルミ缶に。ただ燃えるゴミと燃えないゴミに分けるだけでなく、その中でも更に分別しろと何度言えばわかるんだ」
「そうは言うけど……」
細かすぎるよなぁ、と一緒にゴミ捨てにきたと思われる友達に愚痴る生徒だが、次の瞬間顔を真っ青にして身を固くした。
その喉をエディアルドの持つ火かき棒が狙っていたのだ。
「あ、あの……ひっ」
「言い訳を言う暇があったら、一日も早く分別ができるよう励むことだ」
返事は、と促すエディアルドに狙われた生徒が泣きそうな顔でガクガクと顔を縦に振る。
その様子に満足げに頷いたエディアルドが一言。
「それで良い」
遠目にそれを認め、ドミトリアスは止めていた息を吐いた。
初めてまともに見た用務員だが、ここまで危ない人間だったとは。先ほどコルドに注意された言葉もあながち嘘ではないと納得する。
まるで盗賊に襲われた旅人のように、あわあわと砕けそうな腰を鼓舞して逃げ去る生徒とそれを見守るエディアルドを眺めていたが、足下で謀ったように小枝が折れる音がした。
まずい、と思ったときにはエディアルドがものすごい勢いで突進してきて例の火かき棒を突き出していた。
「ま、待て!俺だ!」
慌てて茂みから身体を出せば、なんだ、というようにドミトリアスが持っていた火かき棒を下へ降ろす。
会話を交わしたことはないものの、一応お互いの顔ぐらいは知っているらしい。
ドミトリアスの手元にゴミ箱があるのを見ると、何も言わずに持ち上げ焼却炉へと持っていった。当然焼く前にゴミの分別がきちんとされているかというチェックは怠らない。
だが運良く分別が巧くいっていたのか、満足そうな頷きと同時にゴミが焼却炉の中へと放られた。
それを見守ったあと、ようやくドミトリアスが口を開く。
「こうして改めてお話しするのははじめてですね」
「はい」
思った以上に無口な質らしい。既に話しかけていたことを後悔し始めていたドミトリアスだが、次に何を話そうかと思案していたところで突如目の前のエディアルドが目を血走らせて天を仰いだ。
「これ…この匂いは……殿下の匂い!」
なんだ、と思う間にそんな彼がガバッと辺りを見回し、やがてその目がドミトリアスをしっかりと見つめた。
妙な沈黙が二人の間に流れる。
「…………なんですか」
先に沈黙を破ったのはドミトリアスだ。
いい加減居づらい雰囲気に仕方なく口を開いたが、それが失敗だったと気付いたのはそれからすぐ。まるで襲いかかるかのようにエディアルドがものすごい勢いで覆い被さってきた。当然よける間もなく、そのままドサッと芝生に押し倒された。
「なっ……」
「アルゼウス様…貴様、アルゼウス様になにを……!」
文句を言いかけた唇は、だが目の前でなにかに取り憑かれたように乱れたエディアルドを認めたと同時に固まった。
なんでもない、と言いたいがそれを許さない勢いでシャツを引きちぎられ、ボタンが数個辺りに散る。露わになった肌にエディアルドが顔を突っ込んだ。
「やっぱり…この匂い、このかぐわしき匂いは……アルゼウス様!アルゼウス様に間違いない!」
どさくさに紛れた舌が乳首を舐めた。
うっ…と喘げば納得したような声が囁き程度の音量で発される。だがそれが逆に肌を微妙に刺激する息づかいとなって、濡れた乳首を更にとがらせた。
「なぜ貴様が…殿下の匂いを身体につけてる……!」
焦ったような声。
そこでようやくドミトリアスも、彼が密かにアルゼウス・ファンクラブを結成していることを思い出した。会員数は謎。だが半月に一度配られる会報はかなりの数と充実性を備えているということで人気の品らしく、それを作っているのはこのエディアルドだという噂があった。
元はと言えば、アルゼウスが入学したと同時に彼を追って無理矢理用務員として就職した彼だ。それ以前の用務員はと言うと、特に病気らしい病気もしていなかったが突然の病で倒れた。裏でどんなやり取りがあったのかと、今でも生徒の間では面白おかしく話されているがロクな内容でないことはたしかなので誰も真相を突き止めようとはしない。ある意味賢明な策だった。
とはいえ、その彼が目の前で自分の身体から匂うというアルゼウスの匂いに躍起になっている。
それはひどく不愉快で…なにが、と言われれば困るが。とにかくこうも簡単に自分の肌を他人に触らせる趣味はなかった。
「おい、いい加減……痛ッ…」
噛みつかれた。次いで先端を唇に挟まれ引っ張られる。
くすぐったいどころの話でなく、正直涙が出るほど痛かった。
「馬鹿、やめ……い、たたたた…!」
「アルゼウス様、アルゼウス様!!」
力の限りその背中を叩いてもびくともしない。
それどころか、ますます痛いほど乳首を吸ってくるエディアルドの勢いは一向に弱まる様子を見せない。ちらりと見下ろした乳首は既に赤を通り過ぎてうっすらと血がにじんでいた。
こうなったら最後の手段、とばかりに拳を握ったドミトリアスだが、
「なにをしてるんですか」
突如頭上から降ってきた声に、ピクリとのし掛かったエディアルドの身体が反応した。
ゆっくりと振り返る。
その彼の肩越しにドミトリアスもなんとか顔をずらし声の主を確かめて、ホッと安堵の息をついた。
「ア…アルゼウス…さ、ま……」
「……助けろ」
言葉は同時。
泣きそうな顔をしたエディアルドと、不機嫌を露わにしたドミトリアスを交互に見たあとアルゼウスは大げさに肩をすくめて見せ、
「焼却炉の側で濡れ場なんて…ムードもなにもないですね」
軽くエディアルドを足蹴にすると、憮然とした面もちのドミトリアスの腕を引いて立ち上がらせた。
当然蹴られた方のエディアルドはショックを隠しきれない顔だ。
どうして自分はその手で起こしてくれないのかと、非難めいた眼差しをアルゼウスに向ける。
だがご丁寧にドミトリアスの背中についた草を払ってやりながら、アルゼウスは小さく鼻を鳴らすと、
「エド……誰の許可を得てこの人を押し倒したんだい?」
浮かべた微笑みとは裏腹に、底冷えする声を発した。
側で聞いていたドミトリアスも思わず背筋を伸ばすほどの冷たさだ。
だが当のエディアルドはその声と態度になぜか感動を呼び起こされ、アルゼウスの足下に口づけしそうな勢いでひれ伏した。
「全て…全て殿下の……」
「あぁそう。全部私のせいだって、そう言うんだね」
良い度胸だ。
言った側でベルトを外し、ピシッとわざとらしい音を出す。
ハッキリ言ってその頃にはドミトリアスはさりげなく後ずさり、二人の行方を遠くから眺めていた。
だがすぐさまアルゼウスがそのベルトでエディアルドを打ち始めた途端、慌てふためいて回れ右をした。ついていけない…というよりはむしろ、いつ火の粉が自分に振りかぶってくるかわからないことへの恐怖からだろう。
背中から聞こえるピシッという音と、それに伴う歓喜の雄叫びとも言える嬌声をBGMに、ドミトリアスは後ろを振り返ることもなく足早にその場をあとにした。
ゴミ箱をその場に置き忘れたことに気付いたのは、それからしばらく経ってからだった。
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