『ドミトリアスの平凡な一日』
陽気な春の日差しが木々の隙間からこぼれ落ちる。
その多くの光の中で、ぽつりと建った建物が一つ。
敷地面積はおよそ山一つ分。外壁は丈夫なブロック塀、煉瓦作りの建物の周りに所狭しと緑が見えるそれは、『聖女神学院』。
今時珍しい全寮制を取り入れた県下屈指の進学校である。
だがそれももはやかつての姿。
数年前の血生臭い事件のため、今は『流血学院』という別名を併せ持つ、一風変わった学校だった。
校内は紺を基調としたブレザーで埋め尽くされている。
相変わらず代わり映えのしない、見る度に憂鬱になる光景にドミトリアスはそっとため息をついた。
何万倍もの倍率をくぐって教職にあり就いたのは良いが、まさか男子校に配属されるとは。
毎日見るむさ苦しい男連中の熱気にやられて早数ヶ月。
女子校とまではいかないが、やはりある程度生活に潤いがある方がなにかと嬉しい。
同時期に受けた共学の就職試験。
最後の面接質問で趣味が「地図作製」と答えたのが悪かったのかもしれない。
あそこさえクリアすれば筆記試験も確実だったから、間違いなく合格していたはずなのに。
そう何度考えても仕方のないことを考えてしまうのは、そろそろ日頃のストレスが溜まっている証拠だろう。
再び小さくため息をつけば、その肩を背後から来た生徒から容赦なく叩かれた。
「痛ッ……!」
「先生、それって大げさでしょ?」
悪びれもなく言うのは、顔見知りの生徒。
問題児を多く抱えた3年Eクラスの総務コルドだ。
その甘いマスクと重度の色好きで、この隔離された流血学院にあっても浮いた話が途絶えたことがないという強者で、そのくせ頭の方も決して悪くないだけに先生方も頭を抱えている。
その彼が、朝っぱらからこうして声を掛けてくるのは珍しいことではない。
むしろ毎朝の儀式とでも言うべきか。
自然、ドミトリアスの身体が身構える。
「………なんの用だ」
「それってひどいですよ、先生。仮にも生徒がこうして朝のスキンシップを交わそうと、わざわざやって来たっていうのに」
「来なくて良い」
とりつく島もないとはこのことである。
だがコルドはそんなドミトリアスの対応に慣れているのか、特に気にした様子もなく、魅力的な瞳をウィンクして見せた。
「そういうストイックなところ、好きですよ」
言ったと同時にその形良い尻をぺろりと撫でる。
手慣れたものだ。さすが流血学院一のタラシの名は伊達ではない。
「なっ……!」
だが対するこちらはまるで生娘のような対応を見せる。これがよけい相手を喜ばせているとは露とも知らずに、ドミトリアスが真っ赤になって拳を振り上げれば、
「あとその鈍くさいところも♪」
既に廊下の曲がり角にさしかかったコルドがヒラヒラと手を振りながら、愉快そうに笑いながら姿を消す。
それを見送り、わなわなと行方を失った拳を震わせながらドミトリアスはというと、
「こっ…今度の地理の試験で赤点取ったら承知しないからなっ!」
まるで子供のようである。
これが彼がいまいち生徒達から先生として見られない所以でもある。
逆を言えばそれだけ親近感のある先生だということだが、本人としては至って深刻な問題として受け止めているところがなんとも哀れ。
よって、ドミトリアスはというと握っていた拳を解き、小さくため息をついたのだった。
胃がキリキリと痛むのは既に持病と化している胃痛のせい。
「……くそ………」
小さく罵り、小脇に抱えた教科書を持ち直した。
苦労は絶えない。
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