『本気と書いてマジと読め!』
足取りが重い。
1時間目の授業は3年Eクラス、先ほどのコルドがいる教室だ。
だがそれ以外にも、ドミトリアスを悩ませていることがあった。出席簿を抱え直し、大きなため息をもう一度つく。
「………憂鬱だ」
「それ、漢字で書けるか?」
死にそうな声を出したところで、不意に背後から声を掛けられ慌てて振り返る。
だが目にした人物に、更に鬱が深まった。
無意識に眉間に皺が寄っていたらしく、その反応に大げさに肩をすくめたバルアンが悪戯そうな瞳をおかしげに細めた。
「そう露骨に嫌そうな顔をするな」
よけい虐めたくなるだろう、と伸ばしてきた手でスイッと顎のラインを撫でてくる。
それを必死によけ、出席簿を盾にドミトリアスが押さえ気味の声で相手を叱咤した。
「馬鹿、なにやってるんだ」
「なにって……あんたを迎えに来たんだろ」
ケロリと言ってのけるのは、生徒会長を務めるバルアン。
とても高校生とは思えない落ち着いた態度と行動力で、全校生徒から圧倒的な支持を受けている彼は、ある意味校内一の権力者と言っても過言ではない。
その証拠は彼が生徒会長に就任してからの実績を見れば明らかで。
ここ半年ばかりで聖女神学院は驚異の校内革命を果たしていた。
おまけにその実績もあるためか、なかなか教師側も彼には強く出られないところがある。
良いようで、悪い展開だった。
そんな中、なにを思ってかその彼に気に入られたドミトリアスは日々彼の積極過ぎるアプローチに辟易しているのだが、本人は至って懲りていない。
それどころか、嫌がるドミトリアスを見て喜んでいるところがあるのでよけい始末に負えなかった。
「迎えにって……別に良いっていつも言ってるだろ」
「まぁ、気にするな」
「…って、どさくさに紛れて尻を触るな!」
だが本人の意志に反して漫才めいた反応を返してしまうのは、ドミトリアスの性格ゆえか。
おかげでいくら嫌がっても本気で嫌がってると思ってもらえず、第三者からの助け船も入らない状態である。
「相変わらず守りが堅いが、誰か操でも立ててる相手がいるのか」
だが今日はその彼の反応がいつもと違う。
不意に真面目な顔と声で問われ、思わず戸惑ったドミトリアスが言葉に詰まったのをどう解釈したのか、
「いないなら俺にしとけ」
スッと行く手を阻むために右手を壁についてそんなことを言いだした。
足を止め、ドミトリアスは訝しげな様子でそんな彼を見上げる。
はっきり言ってこんな事は日常茶飯事だった。なにかあると口説きまくるバルアンに、最初こそ戸惑いはしたものの、今となっては挨拶代わりとして軽く受け流していたが。
今日ばかりは様子が違う。
真摯な…と言うよりも、鋭さを増した瞳が間近で静かに見つめてくる。
その居心地の悪さに思わず顔を背けようとしたところ、
「逃げるな」
グイッと顎を掴まれ、強引に上を向かされる。
やめろ、と自由になる手で胸板を押し返せばその腕までも封じられた。
「おい、バルアン……本気で怒るぞ」
「こっちだって本気で聞いてるんだ。いい加減、本気で相手をしてくれても良いんじゃないか?」
「馬鹿言うな…教師相手に……」
しどろもどろに言ったところで、おかしそうにバルアンが口端を曲げた。
授業開始のチャイムが鳴る。
慌ただしげに側を駆け去った生徒が、訝しげな目でそんな二人を見守りつつも特に声を掛けることもなく去っていった。
途端、シンと静まり返った廊下がやけに広く感じられる。
「おい、授業が……痛ッ」
妙な緊張感を誤魔化すように話題を振れば、それを許さないと言うように手首をきつく握られた。
これまでにない展開に、どう対応して良いものかと内心慌てふためくドミトリアスだが、それを知っていてなおバルアンはそのシリアスな顔を改めない。
これが彼の作戦だということなど、当然ドミトリアスは気付いていない。もちろんバルアンの方でも、彼がそこまで鈍いということを承知の上での作戦だ。
今も困ったようなドミトリアスの顔を前に、理性を保つのを必死で堪えているのが現状というところだろう。
どっちもどっちとは、こういうことを言うのか。
だが元を正せば、自分の優柔不断な性格が原因だということに気付いていないドミトリアスに非があると言っても過言ではない。
「教師だの授業だのって、そうやってこの世界だけで通じるルールをひけらかしてどうするんだ。卒業したらつき合ってくれる、そう暗に言ってるならこっちも……」
スッと腰を抱かれる。
ぎょっとしたところで、思わず注意が逸れたのを逆手に取られた。
「容赦しない」
腰に回った腕に力がこもった。密着した下半身が、相手のソコと容赦なくぶつかる。
「なっ……!」
「気にするな」
「しないでたまるか!離せ、馬鹿!」
にやりと笑ったバルアンのソコは、なにもしていないのに既にカチカチ。密着しているドミトリアスの方が恥ずかしくなる反応を返していた。
たまらず出席簿を使ってなんとか掴まれた腕をほどくが、やはり3年生ということもあって力が半端じゃない。
それこそ本気の力、と言うべきか。
顔では笑っていても、身体は真剣に迫ってくるのでどうしてもそのギャップに苦しまずにはいられない。
ムキになっても、なんだかんだと口調で言いくるめられ、気付いたときには大きく開かれた両足の間に巧いこと身体を滑り込ませたバルアンが目の前。
更に密着した下半身をいやらしく擦り付けてきた。
「……ぁっ………」
思わず出てしまった声に、慌てて唇を両手で塞ぐ。
だがしっかりとそれを聞き入れたバルアンが、嬉しくてたまらないというように満面の笑みを浮かべ、更に下から突き上げるようにソコを密着させてきた。
「ん、ぅ……」
もどかしいまでの快感。
目をつむり、じわじわと溢れてくる快楽にうっすらと目頭が熱くなるのがわかる。
途端すぐ近くで、くそ、と絞り出すようなバルアンの声がした。
ハッと我に返り、声の主を睨み付ければ、
「先生、あんた反則……」
その顔だけでイケる、と苦笑混じりのバルアンが珍しく年相応の表情を浮かべている。
表情のせいだけではないが、そんな珍しいバルアンの様子に、ふとドミトリアスの身体から力が抜けた。
安心した、というよりも彼の中に高校生らしい部分を見たことに多少感動したのだろう。
だがそれが命知らずの行為だったとまでは、当然ながら気付いていないドミトリアスだった。
「やっぱヤラせて」
「は…あ、いや…ばっ…どこ触って……!」
一瞬の呆けた隙を狙われ、一気にジッパーを降ろされた。ついでにベルトもものの数秒で外される。
「馬鹿…ここ、どこだと……思って…んだ!」
「学校。そして私は学生、あなたは教師」
「ふざ、けるな…!」
あと少しで彼の手がソコに直に触れる。
そう思うと意志とは関係なく、反応を返してしまう身体が憎かった。
触られたらきっともう逃げられない。
それは鈍感なドミトリアスが珍しく察した事実だ。
だがその状況をどこかで待ち望んでいるのもたしかで、その気持ちがなおさら理解不能で抵抗に集中できない。それどころか、微かに足を広げて彼を迎え入れている自分がいる。
あと少し。
あと、少し腕を伸ばせば……。
「…………痛ッ!」
フッとソコから手が退いた。
何事、とばかりに顔を上げれば頭を抱えたバルアンと、その背後には、
「……シャイ、ハン先生…」
「大丈夫ですか」
「え…ええ……」
手入れの行き届いた手を伸ばされ、よろよろと惹かれるようにそれに掴まった。
慌てて乱れた着衣を整えれば、ふわりと目の前で笑った相手に思わず赤面してしまう。
目の前に立つのは個性的な、だが整った顔立ちをした同僚、シャイハン。
美術を担当している彼は、気分屋で授業をすぐに自習にすることでよく職員会議で問題になっているが、本来の耽美趣味が高じて聖女神学院の美術面での外部反応は上々なため、教師たちもあまり強くは出られない。
そしてなにより、
「シャイハン、お前……なにすんだっ!」
「あぁ…ほら見ろ。せっかく磨いた爪が欠けてしまったじゃないか」
「だったら邪魔するな!」
「汚いね…唾を飛ばさないでくれ」
心底嫌そうに胸元からハンカチを取り出したシャイハンが、口元に持っていって眉根を寄せた。まるで匂いまでも嫌悪しているようなその仕草に、バルアンが珍しく拳を握って静かに怒りに耐える。
「お兄さま、ところで一体何の用でしょう」
「……お前にお兄さまなどと呼ばれても嬉しくもなんともない」
「奇遇だな……俺もだ」
バチバチと静かな火花を散らす彼らを遠目に、ドミトリアスは小さくため息をついた。
こう見えても、彼らは血の繋がった兄弟だ。
あまりに知られた事実だが、その割に兄弟仲は最悪でなにかと校内で顔を会わせては今のような冷戦を繰り広げる。
特にバルアンに引っかかるドミトリアスは、その現場に嫌と言うほど居合わせていた。
いい加減、このやり取りにも慣れるというものだ。
おかげで対処法も慣れたもので、二人を置いて回れ右をする。早く教室に行かないとチャイムが鳴ってからかなりの時間が経っていた。
だが目ざとくそれを見つけたバルアンが、シャイハンの身体越しに大声を上げる。
「おい、どこに行くつもりだ!」
「お前の教室。授業がはじまってるんだぞ」
心底力つきた様子で言えば、俺も行く、とスタコラあとを付いてくるバルアン。
どさくさに紛れて肩に腕を絡めてくるのを必死にやり越しながら、その場を去ろうとしたところで、
「ドミトリアス先生」
背後から透き通るような声音で名前を呼ばれた。
振り返るなよ、と意地悪く言うバルアンを無視して振り返れば、にこやかな笑みを浮かべたシャイハンが形良い唇を開く。
「もし良かったら午後にでも美術室にいらしてください。見せたいものもありますので」
「なんですか?」
「来ればわかりますよ」
意味深な台詞に、隣のバルアンが「気障野郎」と毒づいた。
時計が気になっていたドミトリアスは、はっきりとした答えはせずに軽く黙礼をして足早にその場を去る。
あとに残ったのはシャイハンの妖しげな笑みだけ。
だがその彼も、振り返ったバルアンがスッと自分のズボンの裾を持ち上げ、すね毛を見せたところでふらりとその場に倒れた。
失神、である。
この兄弟の間に広がる溝も、そう簡単には埋められそうになかった。
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