『オヤジとて人である』
なにを考えてる。
これまで築き上げてきた地位はどうする気だ?名誉は?
たかがあんな男のために、それら全てを捨てる気か。
そこまでしてやる価値が、あの男にあるのか。お前にそんな勇気があるのか。
考え直せ。
愚か者にはなりたくないだろう。お前はいつだって自由でいたかったはずだ。
自分を罵倒する声が何度も頭の中をこだまする。⇒基本的に悶々と悩まなくてはいけない
年甲斐もなく一人の男に惚れたことは、これまでなんの障害もなくエリートコースを歩んできた自分にとっては誤算中の誤算で。
だがそれでいて、これまで味わったことのない充実感を感じていることも事実だった。
「ロスマイヤー部長」
不意に掛けられた声に身体が過敏に反応した。⇒生娘のような反応が好ましい
握っていたペンを取り落とす。それを慌てて拾えば、頭上でファイルを数冊持った部下と目が合う。
「なんだ」
「すみませんが、資料室まで付き合っていただけませんか」
聞きたいことがありまして。
そう言って僅かに肩をすくめるのは、同じ課のクリストファー・オブライエンだ。洒落たネクタイが目を引いた。それも誰かからの贈り物だろうか。
自分で思いついた疑問に胸が痛くなる。⇒オヤジは意外とセンチメンタル
まるで若造のようだと、そんな自分に自虐的な笑みを浮かべた。部長、と怪訝そうにこちらを伺うオブライエンに、なんでもない、と返し席を立つ。
同期入社の自分と彼。
なにを考えているのか分からない彼を尻目に、コネと実力を巧く使い分けて登りつめた。
いや、これからもまだ上を狙う気ではいる。
だがそう決心する側で、では今の自分の愚行はどういうことだと囁く声がある。
「あ…部長、どちらに?」
すれ違った部下の何人かが声を掛けてくる。それに対し、会議室だと答えれば目の前を歩くオブライエンの背中が微かに笑ったような気がした。
本当に、自分はなにをしてるのだろう。
説明できないここ数ヶ月の自分の行動に思わず自分で叱咤する。
だがそれも、人気のない資料室に一歩足を踏み入れた瞬間重なった唇に音を立てて崩れ落ちた。
「ん…ふ……っ」
激しく吸われる舌に思わず呻き声を上げれば、名残惜しさも感じない淡泊さで唇が離れていく。⇒執拗さを見せてはいけない
「……クリス………」
二人きりのときにしか呼び合わない名前を口にする。⇒必ず秘密の名がある
目の前でニヒルな笑みを浮かべた男がゆっくりと胸ポケットから煙草を取りだし口にくわえる。手慣れた様子で火をつけ、煙を吐き出す間のもどかしい沈黙にそわそわと視線を巡らした。
「会議室で、か……嘘が巧くなったな」
サイモン、とちらりと眼差しを投げられ嬉しいはずが、なぜか顔を逸らしてぶっきらぼうに答えてしまう。
「他に言い様がないだろ」
「たしかに。部長が部下と資料室でこんな……」
言いながら、背後から伸びてきた手が器用にネクタイを緩ませる。⇒常に発情期
やめろ、と言いたい唇は顔近くに迫った煙草の火に怯え凍り付いた。それを知ってか、クリスが喉奥で小さく笑いながらシュルッと慣れた仕草でネクタイを抜き取る。
目の前でブラブラと見せつけるようにそれを揺らしたあと、フー…とわざとらしく煙を吐いて見せる様はさすが社内一のダンディーを誇る男である。
「どうされたい?ん?言ってみろ、サイモン」
ゾクリ…と背中をかけ昇った感覚がなにかを知らない歳ではない。
だがそれに忠実に従うには、自分はあまりにも歳を取りすぎていた。
「……どうしてこんなことをするんだ」
苦し紛れに話題転換を試みる。
余裕の笑みを浮かべた相手を睨み付け、常に心をくすぶっていた気持ちを暴露した。
「そんなに私が憎いのか?君をおいて出世した私が…いや、そうじゃない」
「………………」
「なぜ上を望まないんだ。君なら私よりもずっと早くに出世していたはずだ…なのになぜ 本気を出さない?いつまでそんなところで居座ってるつもりだ」
いつからか、出世コースを歩くことを諦めたクリス。
だが当時はライバルが1人減ったと思い嬉しく思いつつも、今の地位に落ち着いてからは彼の存在が気になって仕方がなかった。⇒過去を思い出してナーバスにならなくてはいけない
実力はあるのに本気を出そうとしない彼。その彼が自分をどんな目で見ているのか、一度気にしだすと何をするにも彼の視線が気になって。
「だから私のことが気になったとでも言いたいのか」
見透かされたような台詞にカッと耳まで赤くした。
その反応を見て、嘲るようにクリスが笑う。
「は。結局は自分を正当化するために私を攻めてるだけか」
「ちがっ……ッ!」
否定の言葉は喉を締め付けるネクタイによって阻まれた。
「クリ…ス……」
「お前のそういうところが気に食わないんだ」
口端だけをつり上げて笑う男の瞳に、自分の苦悶に染まった顔が映る。
締め上げられた喉がかつがつの呼吸を肺へと送っていた。脂汗の滲んだ額を面白そうに眺め、クリスの手がゆっくりと下肢へ伸びる。
「……や…め………」
ヒューヒューと情けない音を立てる喉でやっとの抗議の声をあげるが、聞き入れる気はないのか、容赦ない指がジッパーを下ろし目的のモノを掴んだ。
「……っ…………」
「資料室で上司が部下に抱かれてた、なんていうのは超一級のスキャンダルだな」⇒攻めは言葉で追いつめる
ゆっくりと上下に指を動かしながら熱い吐息を耳元で囁くクリス。
狭い資料室、両脇をファイルに埋もれた棚で挟まれて視界は極めて悪い。誰が入ってきてもおかしくない状況で、だが確実に与えられる快楽に流されるのは己の情けない意志からか、それとも……
「クリス……ッ!」
頃合いを見計らって喉に回されたネクタイがスルリと解かれる。同時に白濁した液を彼の掌に吐き出していた。⇒時に早漏も可
荒い呼吸で肩が上下する。そのまま座り込んでしまいそうなほど、身体から力が抜けていた。
「早いな」
手に散った精液を眺めながら面白そうに言うクリスに視線で答える。
そうじゃない。
君だったからだ、と。
他の誰でもない、クリストファー・オブライエンという男の手だったから、こんなに感じることが出来たんだ。⇒飽くまで自分はホモじゃないと否定する
だがそれを言うことは許されない。
この気持ちは秘めていなくては。恋愛感情だと相手に悟られるわけにはいかない。
自分たちはいつも危ない駆け引きのような関係を続け、気持ちをオブラードのようなもので覆って隠しておかなければならないのだから。
そうでなければ成立しない。
そうしなければ、お互い歯止めがきかなくなる。
だから、目の前で可笑しそうに目を細めた男から乱暴にネクタイを奪い取り、素早く身につけた。微かに乱れた胸元と下ろされたジッパーを引き上げ、目の前の男に背を向ける。
「サイモン」
その背中に向かって声が投げかけられた。
いつものことだ。こちらの反応を楽しんでいるような、それでいてこの関係を崩さないよう細心の注意が払われた声音。
ピタリ、と自然足が止まる。だが振り返ることはなく、次の言葉を待った。
「次はいつだ?」
「次はないっ!」
微かに笑いの混じった台詞に、大げさに声を荒げて乱暴に扉を閉めた。
後ろで声をあげて笑うクリス声が聞こえた。
それを聞いて、ほんの少しだけ胸が痛む。
もうこんなことを感じる歳でもないのに。年甲斐もないと笑われるだろうに。
だが中年は中年なりに、それなりに必死で恋に立ち向かっているのだと、サイモンは拳を握り自席へと急いだ。⇒最終的には健気さをアピール
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