『支配する音』
通された応接室は主を思わせる静けさで訪問者を威圧していた。
見慣れない重厚な調度品に気後れする。
腰まで埋まりそうな柔らかなソファーが居心地悪い。何度も腰を動かせば、軽いノックと同時に重く閉じていた扉がゆっくりと開かれる。
「よく来たね」
部屋の雰囲気に臆することなく入ってきた美丈夫。微かに笑まれたダークグレイの瞳と目が合う。⇒紳士ぶりをアピールしておく
慌てて腰を上げ、しどろもどろの口調でここ数日考え倒した挨拶文を口にした。
「は…はじめまして。今回は僕なんかのために…その、音楽学校への援助をしてくださって…ありがとうございました。本当に、感謝してます」
震える声で一気に言う。
何もかもが突然だった。それまで施設で暮らしていた自分に、援助の話が来て月に一度の仕送りがくるまで。⇒不幸な生い立ちがなくてはならない
はじめは本当に少し歌が好きだった、それだけなのに。⇒なにか一芸を持っている
次第に周りの評価が高まって、気がついたときには園長室に呼び出され今回の件を告げられた。
ヴィクトール・クリュガーという富豪から援助の話が来ている、と。
そして今、僕はその富豪を前に立ち尽くしていた。
彫りの深い顔立ち。ダークブロンドと微かに影を落とした瞳がどこか悲しげで、そういえば彼は独身だったのだという事実に気づく。⇒もしくは離婚歴有りで孤独を演出
「クルゼル君……だったね」
低い、だが良く通る声が静かに名前を呼んだ。
弾かれたように背筋を伸ばせば、緊張することはない、と優しく諭される。
「今回君を援助しようと思ったのは、君のその歌声に惚れたからだ」
臆面もない告白に、誉められることに慣れた身体が熱くなるのを感じた。ありがとうございます、と慌てて答えれば再び小さな笑みに迎えられる。
「今後は歌うことに専念しなさい。そしてたまにで良ければ私にその歌声を披露してもらえると嬉しいね」
「ぜ、ぜひ!」
思わず力を込めて答えていた。
すると静かな笑みがジ…と自分を見つめてくる。何も言わず、ただそのダークグレイの瞳に捕らえられることに居心地の悪さを覚えた。
「あ…あの、良かったらそちらに並んだCDを拝見してもよろしいでしょうか」
話題を変えたのをきっかけに、不自然でないよう視線を外す。
そこにはズラリと並んだ膨大な量のCDが並べられている。部屋に通されていた頃から気になっていた宝の山だ。⇒裕福さを小道具でアピール
施設にいた頃はCD一枚買うのも一大決心が必要だったし、好きなだけ聞けるというわけでもない。だからこの沈黙を破るためでもあった話題転換は、その実僕の願望の現れだったのかもしれない。
だが視線を逸らしたのは失礼だったかと、恐る恐るヴィクトールの顔色を伺えば、既に見慣れた笑みを浮かべた彼が頷くのがすぐ。
「好きなだけ見ると良い。なにか欲しいものがあれば遠慮なく言いなさい」
「あ…ありがとうございます」
言われるがままに、並べられたCDに目を通す。
「すごい………」
思わず感嘆の声が出ていた。これまで聞きたくて仕方がなかった曲の全てがそこには揃っていた。
だがしばらくしてその興奮から落ち着いてみると、背後から熱い視線を感じる。それはちょうど、ヴィクトールが座ったソファーからで。
まさか…と施設にいる頃から何度か遭遇している事態を彷彿とさせる雰囲気に一瞬CDを選ぶ手が止まった。だが怖くて後ろを振り返る勇気はない。
震える手で何気ない風を装いつつもCDを取り出そうと手を伸ばす。
「あっ……」
バサバサッと容赦なくCDが床へと散乱した。どうしよう、と思った瞬間背後から伸びてきた手がその一枚を取り上げる。⇒いつの時代も不動の展開
「なにか面白いものはあったか」
「……ぁ………」
微かな息遣いが耳にかかった。不意に出てしまった声に赤面する自分を隠すように俯けば、それを許さないという手が顎を掴んで持ち上げる。
「よく見なさい……ヴァーグナー・マーラー・バッハ。様々な過去を代表する音楽家達の集大成だ」⇒教養の有無が伺える発言をさせる
「…は、い……素晴らしいコレクションだと…思います……」
ダメだ。声が震えてしまう。
それも全て、背中から伝わる彼の体温と微かに腰に回された左腕のせいだ。
「だが人には飽きというものがある」
「………………」
彼がなにを言いたいのかがわからない。だがその先を聞いてはいけないと本能が警告を出すのに、なぜか聞きたいと願う自分がいることも事実だった。⇒この時点で既に惚れていなくてはいけない
彼の唇がそっと耳に触れる。
何度か軽い甘噛みを繰り返したあと、ゾクリと背中をなにかが駆け上がるあの声で囁かれた。
「飽きた私が求めたのが君だよ」
引き寄せるように、その左腕に力が込められた。首筋になにか暖かいものが当たる。それが唇だと知る頃には、僕は柔らかな絨毯へと押し倒されていた。
「やめ……て…っ」
泣きそうだった。いや、事実泣いていたのかもしれない。⇒涙腺は緩くあれ
ゆるゆるになった視界。だが慰めのように触れる唇に、何度も髪を撫でる掌。
「どうしてこんな…クリュガー……さん…」
「クルゼル君」
しっかりとした声が名前を呼ぶ。滲んだ視界を改めようと何度かしばたいたあと、目の前に迫った美貌に息を飲んだ。
形良い唇がク…とつり上がる。
「損得なしで慈善事業ができるほど、大人は綺麗じゃないんだ」⇒真の顔を披露
覚えておきなさい、と笑った彼の表情は先ほどまでの柔らかな笑みとは雲泥の、妖艶な笑みだった。そんな、と呟いた唇を塞がれる。微かに開いたところから生ぬるい舌が差し込まれ、口腔内をしっとりと侵された。
「んっ…ん……やっ…だ…」
なんとか抵抗を試みようと、目の前の胸板を何度も殴る。だがビクともしないその強靱な身体に、三十代とは思えない魅力を感じてしまいそうになった。
だがそうこうする間に離れた唇が、意地悪そうに笑まれる。
「ここで断れば……頭のいい君ならどうなるか、わかるだろう?」
「そんな……」⇒負い目を感じ涙ぐむと好ましい
「なにもとって喰おうってわけじゃない。こうして……」
彼の指が器用に外したシャツボタンの合間から忍び入り、辿り当てた乳首を摘んだ。⇒乳首は桜色
「…ぁ……っ」
「お互い気持ちよくなろうと言ってるんだ」
笑う彼。悔しいはずなのに、その笑顔に引き込まれそうになる。⇒心の葛藤
頬に当たる柔らかな絨毯。視界の端に映る重厚な調度品。
それら全てに憧れてたはずだ。いつか施設を出て、こんな生活がしてみたいと。
だがいざ手に入れた今は、予想のしなかった展開までついてきて。僕はただひたすら混乱していた。
だから、目の前に迫ったヴィクトールの首に腕を絡める。
だから、強くその身体を引き寄せた。
混乱していたから。全ては、混乱のせいだ。⇒理由づけて堕ちていくと良い
「そう、それでいい」
満足そうに笑う彼の声が聞こえる。
再びぼやけはじめる視界。
やがて頭の中を支配しはじめた数々の音楽に、僕は考えることをやめた。⇒余計なことは考えない
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